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2016年11月13日 (日曜日)

情報ネットワーク法学会の講演を終えて

体調に不安の残る状態だったが与えられた責務を果たすべく,情報ネットワーク法学会の第16回研究大会に出席し,無事に講演を終えることができた。

講演に至るまでの間,面倒な事前準備等について,何ひとつ文句を言わずに適切に対応していただいた菊池浩明先生(明治大学)と藤村明子氏(NTTセキュアプラットフォーム研究所)を責任者とする理事各位及び支援してくださった方々には心から御礼を申し上げる。

2日間の学会の期間中には,会場において,アルバイトの学生を含め,補助業務に従事していた方々にも何度もお世話になった。御礼申し上げる。

また,講演当日に細かな法解釈論を述べなくても良いように,法と情報雑誌掲載の翻訳とその脚注を急いで仕上げるに際し,研究資金を提供してくださったKDDI総合研究所・加藤尚徳氏,翻訳に際して適切なアドバイスを頂戴した丸橋透先生,新保史生先生,佐々木秀智先生,金子敏哉先生にも心から御礼を申し上げる。おかげさまで,雑誌の第1号から第5号までを無事に刊行し,そして,資金的余力のある範囲内で雑誌を増刷して講演の際に配布することができた。

講演を終えてから,鈴木正朝先生(新潟大学)につかまり,しばし懇談(?)した。そのあとで幾つかのセッションで聴講した。

笠原毅彦先生(桐蔭横浜大学)の通訳で行われたゲオルグ・ボルゲス先生(ザールランド大学)の講演はとても良かった。ボルゲス先生は,元判事ということで,特に研究している分野に共通点が多いこともあり,その問題意識をとてもよく理解することができた。内容はドイツ法に関するものではあったけれども,日本法においても類似する法的問題が存在しているので,私なりにしっかりと研究しようと思う。とても刺激になった。

懇親会は1次回のみで切り上げ,予約していたホテルでとにかく1分でも多く睡眠をとることにした。

2日目の本日は,午前中は,プロバイダ責任と関連する問題を扱うセッションを聴講し,午後は法情報学関連のセッションを聴講した。どちらもよい研究報告が多く,勉強になった。

全体としてみて,若い世代の報告が少なくなく,学会として「生きている」という印象を受ける。若い研究者は,ベテランと比較すれば研究年数が少ないので,まだ粗削りの部分があるし,不足している部分もある。しかし,ベテランの先生方が詰めている学会の席上で発表するために努力を重ねて準備し,腹を決めて発表することには大きな意味があり,それだけで人間としての成長を期待することができる。学会の席上で質問や意見を受けることにより自分が更に研究すべきことを無料で教えてもらうこともできるわけで,こんなに得なことはない。今後も,更に多くの若い研究者がチャレンジすることを期待したい。

学会組織それ自体としても順調に会員が増加しているとのことで,とても喜ばしいことだと思う。

町村泰貴先生や指宿信先生等と相談しながら,「将来,若い世代が継続的に参加して新陳代謝を維持できるような組織とするためにはどうしたらよいのか」について,何度も意見交換をした頃のことを思い出す。難産だったが,苦労したかいがあった。

学会立ち上げの際には,岡村久道先生及び平野晋先生にお願いして,学会設立趣旨のようなものを書いていただき,連名で判例タイムズ誌及びWeb上で公開した。これも懐かしい思い出だ。

現在の中心メンバーは,もっと若い世代となっている。とても良いことだと思う。

茶道や書道などの世界では昔からの「型」を守ることがとても大事なことだ。

しかし,法学は,基本的には実学なので,時代や社会情勢の変化と共に柔軟に対応できるものでなければならないし,偉い先生の理論を継承するためにあるわけではない。それゆえ,私の学説上の意見を含め,間違っているものや時代に合わないものはどんどん乗り越えるような新たな研究成果が出てくるようでなければ,生きた法学ではない。法学上の特定の学説を保存するためにだけ存在しているような団体は,古典伝統芸能の一種として理解すべきであろう。

このような時代への即応は,事柄にもよるが,一般的には,行政官庁ではそう簡単にできることではない。あまりに朝令暮改が過ぎると国民が迷惑する。また,平等かつ公正な行政サービスの要請に反する結果となることがある。

しかし,ときとして形式的な先例踏襲の弊害があることもまた事実であるので,弊害があれば弊害だと明言する誰かが存在しなければならない。会計検査院は憲法によって設置された独立の国家機関としてのそのような辛口の意見を言う職務を遂行する。学術団体である学会は,国家機関ではないが,自由闊達な意見交換を通じて何らかのかたちで弊害を除去するために貢献し,「良い行政の原理」を実現するために寄与すべき場合もある。

 

その意味でも学術の自由は,とても大事なものだと思う。

しかし,それゆえに,学術が単なる思い付きや空理空論であっては困る。

学術上の方法論には多種多様なものがあるけれども,法学とりわけ比較法的研究の場合や法史学的な研究の場合には,1次資料をしっかりと読み,納得がいくまでとことん考えるということが大事で,この部分について手を抜くと,とんでもない結果を招くことがある。

若い世代に期待しつつも,学術の道はそんなに安楽なものでもないので,基本を忘れず,地道に1次資料を調べ,理解し,考える続けることの重要性についても今回の講演の中に盛り込んだ。

サイバー法や法情報学は,通常の解釈法学とは異なるとの誤解を受けることがあるが,そんなことは全くない。より厳しく基本に忠実に研究を重ねていれば必ず成果を出すことができる。反対に安直な方法を選ぶと必ず失敗する。

しかし,極めてシビアな世界であるからこそやりがいがあるので,普通の人でもできることは普通の人に任せればよいと考えている。

学会のマネジメントには難問も多数あるようだ。昨日は,担当理事から報告があり,本日は湯淺墾道先生(情報セキュリティ大学院大学)ともちょっとだけ意見交換をした。とにかくマネジメントは楽ではない。しかし,それはどの学会でも同じなので,合理的な努力を重ねて課題を解決してもらいたいと思う。

最後に,私がかつて教えたことのある学生が立派な社会人となり,元気に活躍している姿を目にすることができたことがとても嬉しかった。ただ,老害とでも言うべきか,元学生だったがゆえについ気が緩んでしまったとでも言うべきか,弁護士として立派に活躍している方の発表の際には,ややコメントし過ぎてしまったことを悔やみ,かつ,恥じる。

 

(余談)

ボルゲス先生に対して,問題となる事柄についてドイツでは立法の動きはあるのかという趣旨の質問をした。

その回答は,「これまで関連する法令は存在せず,立法の動きは全くない。しかし,だからこそ研究を重ね発表する意味があるのだ」という趣旨のものだった。

私も全く同感で,心強く感じた。

一般論としては,自己満足だけの学術研究があっても全く構わない。しかし,私自身は,実学としての法学という側面においては,何らかのかたちで社会に寄与・貢献するものを希求し続けようと思う。

 

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