仁義
世の中には仁義というものがある。
仁義を捨てれば金を得ることができる場合があるかもしれない。
しかし,仁義は仁義だ。
現実には,仁義よりも金を選ぶほうが合理的なのかもしれない。
「仁義は仁義だ」と考えることのできない人々が増えている当世の世相を嘆く。
(余談)
正確には,「仁」と「義」とは異なる。
しかし,四書五経に精通している学生は,ほぼゼロだろうと思う。
本来であれば,高校レベルで精通していなければならない。
しかし,現実は現実だ。
高校生のみならずもっと教養のあるべき人々においてさえそうであるので,そもそも問題とすべきことではないのかもしれない。
他方で,へたに「仁義」というと,「かつてのやくざ映画ですか?」と問う人もある。
「馬鹿ではないか」と思うのだが,面と向かって「バカですか?」とは言えない。
世間は面倒くさい。
天下の秀才である夏目漱石の頭がおかしくなってしまうのは,むしろ自然なことなのではないかと思う。
『草枕』の冒頭の文言は,後世に残る傑作だと断言できる。
ただし,現時点での平均的なアメリカ人には理解できないことかもしれない。
しかし,200年後のアメリカ人には誰にでも理解することができることだろうと思う。
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