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2016年10月12日 (水曜日)

生殖能力を喪失させた遺伝子組換え生物には繁殖能力がないか?

開発者(研究者)は,「ない」と言い切る。

「生殖機能を喪失させているので生殖による繁殖はない」という意味では一応正しいかもしれない。

しかし,小学生でも理解できる間違いが存在している。

第1に,人工的に製造された細胞の全てが成功しているかどうかの保証がない。例えば,「アプローズ」の特許関連書類を精読すると,期待した細胞群を得ることがいかに難しいかを理解することができる。種々雑多な細胞群ができあがってしまうのであり,その中から選別した細胞群だけを育成し,更に選別しているので,理論値どおりに遺伝子組換え生物が製造できるかのように見えるが,実はそうではない。このことから,生殖機能を喪失させるように設計して遺伝子組換えをした細胞群の中には多数の失敗例が含まれている可能性が高いということを知ることができる。製造された実物(実装)は,理論値そのものとは異なる。

第2に,非常に多くの生物は栄養繁殖をする。その栄養繁殖も細胞分裂によって行われるから,何万回に1回くらいは遺伝子転写の際にエラーが生じ,要するに、突然変異を起こす。その結果,生殖能力を回復することがあり得る。生物は遺伝子の複製により自己増殖をするサイバネティクスなので,設計図どおりに同一のものが製造され続ける機械装置とは完全に異なる。

第3に,遺伝子組換えに用いられる細菌やバクテリオファージ等については,実はまだよくわかっていない部分が圧倒的に多い。おそらく,自然界には人間の知らない細菌やウイルスの類がまだまだ無数に存在するのだろう。そして,それらの細菌やウイルス等の感染を通じて遺伝子の転写が行われ,その結果として新たに生殖能力をもつ個体が出現できる可能性を否定することはできない。確率としては低いかもしれないが,ゼロではない。

以上のような問題があることから,環境影響評価の中で,同科の植物との自然交雑の可能性について実験が行われる。しかし,環境省自身が実験するのではなく,開発者が提出した報告書が審査されるというだけのことだ。そこには文字しかないから,事実そのものではない。このような公的な職務の遂行に際しては,訴訟における主張立証責任の分配法則と全く同じように,常にゼロ・トラスト・モデルを基本としなければならないのだが,現実の運用はそうなっていないように思う。だから,公的な影響評価が実施されたというだけでは,実は何の保証もないのと同じことだ。常に徹底した検証(事後評価)が行われなければならない。しかし,そのための予算も人材も施設も設備も組織もゼロだという事実を人々は十分に認識すべきだろう。

加えて,同科の中だけでしか生殖できないという保証はない。そのような定義の下で分類体系がつくられてきたことは事実だ。定義それ自体は理論なので,理論それ自体として間違っていると言い切ることはできない。しかし,実際のあてはめでは問題となり得る。すなわち,遺伝子ベースでの分類では,従来の分類と大きく異なる場合がある。分類の基準が異なるので当然そのようなことが発生し得る。その結果,従来の分類では別の科になっていても生殖可能な範囲内に属する生物群が存在するかもしれないのだ。

更に,日本国に存在する生物の多くは,過去の人工交配品の子孫であるものが圧倒的に多いと推定されることから,見かけと実際の遺伝子構造とが異なる場合があるということを理解しなければならない。見かけ上で似ているものだけを対象に影響評価をしても意味がない。世界観を完全に変更しないといけないのだが,人々はとても怠惰なので世界観を変更しようとしない。

このようような問題を解決するためには,同じような生殖機能をもつ全ての種との生殖可能性について,専門家による検証が行われなければならない。しかし,現実の特許実例または特許出願実例をみると,現実にはそのような正しい認識・理解の下での審査が行われていない。だから,間違ってしまうのだ。

しかも,専門家の場合には,一般人よりもよりはるかに強固に世界観を変更したがらないという一般的な傾向がある(←これは,形式的な意味での職業上の専門家のことを言っている。真の専門家というものは,実は,非常に柔軟な脳機能をもっているので,いくらでも自由自在に発想を転換することができる。)。自己過信の一種だと言える。科学によって実証されてしまっていることであっても認めようとしないのが普通だ。認めると自分の人生が無になってしまうと考えるからだろう。しかし,無でもよいではないか。心機一転,新たに始めればよいのだ。

以上は,ある雑誌に掲載予定で準備していた論説の要旨の一部と青薔薇論文及び遺伝子洗浄論文で既に述べたことを結合した要旨のようなものなのだが,都合により,その雑誌では別の内容の論説を先に公表することにしたので,ここで公表しておくことにした。

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