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2016年8月 6日 (土曜日)

『史記』の「夏本紀」にある「禹」の時代の大洪水は史実か?

下記の記事が出ている。

 Incredible discovery reveals the truth behind an ancient Chinese legend
 ars tecjhnica: August 6, 2016
 http://arstechnica.com/science/2016/08/incredible-discovery-reveals-the-truth-behind-an-ancient-chinese-legend/

 Outburst flood at 1920 BCE supports historicity of China’s Great Flood and the Xia dynasty
 Science: 5 August, 2016
 http://science.sciencemag.org/content/353/6299/579

紀元前1920年頃に巨大地震が発生し,それによって黄河の流路が大規模に変動し,治水工事が必要になったもののようだ。

中国の史書の中には国を亡ぼすほどの巨大地震があったことを示唆する記述が結構たくさんある。その中の幾つかについては既に地質調査等によって実在が証明されている。おそらく,史書の記述にある巨大地震,巨大洪水,巨大津波は,全て史実なのだろうと思う。

『荘子』の中に出てくる大げさな神話のようなものの中にも中国大陸全土を覆い尽くすような巨大洪水または巨大津波があったと読めるものがあり,かなりの誇張があると考えても,例えば,江南のほぼ全域が壊滅するような大津波が発生した可能性はあると考える。

リアルな問題として,長江(揚子江)に設置された大規模ダムに本当に重大な欠陥があり,その中のどれかが崩壊すると,下流にあるダムが全て順次崩壊して長江下流域がほぼ全面的に壊滅するといったリスク管理上の演習シナリオは成立可能だろうと思う。

(余談)

幕末において幕府軍が意外とあっさりと薩長軍に敗北してしまった原因については,諸説ある。ユダヤの陰謀説のようなものは除外するとして,私見としては,かなり初期の段階で幕府と薩長中枢との間で秘密の談合ができていた可能性は決して低くないと思う(勝海舟と西郷隆盛は,いずれも秦族を自称する人々の末裔だと考えられる。)。

そのような談合は、単なる政治的思惑だけで成立することはない。私見としては,幕末の時期に繰り返し日本列島を襲った大規模災害によって,幕府の力が極度に衰退しており,薩長軍との戦争を遂行する力を削がれていたことがあると考える。無駄な戦争により更に国力を低下させれば,西欧列強の思う壺だとの高度な政治的判断があったとも想像される。

歴史に「もし」は許されないとされるが,もし安政年間前後の大災害の多発という自然災害がなければ,西欧列強に対して富国強兵策により対抗するという方策を,徳川幕府が主導して行うことになったかもしれない。

(余談2)

「禹」は,「兎」と同じと考えることができる。また,「禹」の音は,「阿」や「宇」の音と通ずる。

「禹」の子孫は,現在の河南省周辺に住み,「夏人」と呼ばれた。

日本の古い神社の中の中には「兎」のような神紋をもつところがあり,また,神話の中にも因幡の白兎の伝説がある。特に「秦族」系とされているところに多く見られるのだが,もともとは少し異なる系統に属し,養老律令制定の頃,国家神道が名実共に成立した際,国家が認める系統(=国家から一定の権威と支配権限を認められる系統)の神社に組み込まれたのではないかとも考えられる。

素人の想像に過ぎないが,河南の夏人の末裔が倭國に移住し,兎紋をもつ一族の祖となったのだろう。朝鮮半島経由ではない。

この関連の古代史においては,現在では,「華」の字を用いて表現するものが多いが,本来は「夏」を用いるべきものだったと推定される。少なくとも『隋書』には「華夏」との表現を用いて「秦國」(現在の山口県及びその周辺と推定される地域)のことが記述されている。

[追記:2016年8月7日]

関連記事を追加する。

 First Evidence of Legendary Great Flood in China May Rewrite History
 Ancient Prigins: 5 August, 2016
 http://www.ancient-origins.net/news-general/first-evidence-legendary-great-flood-china-may-rewrite-history-006396

(余談3)

「禹」は,現代発音では「yu」またはこれに類する音となる。古代の発音は判明していないが,「yu」だけではなく「yi」のような音だった可能性は高いレベルで肯定される。

すると,音的には、「因」、「伊」等は,「禹」と類似する音だったと推定する仮説をたてることができる。仮にそれが正しいとした場合、「因幡」と「伊賀」は「禹(の子孫)の國」という意味を有し得る(「幡」や「賀」は「羅」と同じで,一定範囲の領土のことを意味すると考えられる。)。なお,このことは,日本国の一部が中国領に属するということを全く意味しない。日本にとっても中国にとっても,古代は古代なので,現在との関係はない。

北方民族及び西域諸族の侵入を受け、大混乱の中で南西に逃げた人々は現在のベトナム人等の祖となり,南東に逃げた人々は倭人の祖の一員となったのかもしれない。

ちなみに、「禹」は,コーカソイドの遺伝子の影響の強い者であったかもしれない。それゆえに,「禹」は,「龍」でもあり得ることになる。一般に,古代における「漢人」に対するイメージは,根本的なところで修正を要するように思う。

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