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2016年8月13日 (土曜日)

大学における少人数クラスは正しいか?

二者択一的な見解は誤りだと考えている。

少人数でやったほうが効果的な事柄についてはそうしたほうが良いにきまっている。

しかし,そうではないものもある。

また,少人数でやれるならそうしたほうがベターなのだけれども,その科目内容について十分な内容を提供できる教授が極めて乏しいという場合には,大教室での講義形式とせざるを得ない。

誰でも教育を担当できるような科目とそうでない科目とがあるのだ。

そういうあたりをよくわかっている人は,少人数方式を全面的に肯定するといった愚を犯すことがない。

全面肯定する人の多くは,大学の科目としてあってもなくてもどちらでもよさそうな科目を担当していることが比較的多い。

能力の乏しい者が自分の就職口を少しでも増やすためにそのように主張していることもある。教員に対する賃金や報酬の支払能力を完全に無視すれば,科目数が多ければ多いだけ教育の需要が高まることは誰にでも理解できることだ。しかし,それでは大学の教育の質を大幅に低下させてしまうリスクを避けることができない。悪貨は良貨を駆逐するのだ。

そこらへんのことをきちんと見分けた上で,ものごとを判断することが大事だと思う。

米国において少人数クラスが推奨されたのは,教育効果というよりもある種の経営判断によるものなので,いずれ変化が現れるときが来ることだろう。

つまり,クラスの人数は,全ての科目にとって共通の教育効果上の本質的な問題なのではなく,あくまでも経営判断の問題だと理解していないと,あとになって泣きを見ることになる。

とってつけたような議論や意見,あるいは,単純に受け売りの見解等には感心しない。

 

(余談)

一般に,学位,学歴及び職歴は,当該の者の研究者としての能力及び教育者としての技能と無関係だと考えられる。有意な相関関係はない。

これまでの経験によると,知的能力との関係においては,国家公務員試験や司法試験に上位で合格している者では有意な相関関係が認められるように思う。ただし,この知的能力は,当該の者の性格や人格や思想傾向等(特に権力を求める欲望の多寡)とは一切の関係がないことに留意しなければならない。

 

 

 

 

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