ハーモナイゼーション
論研ジュリスト2016年夏号が届いたのでざっと読んでみた。
幾つかの論説の中で,個人データ保護法制との関連で「ハーモナイゼーション」に触れてあった。
なかなか難しい言葉で,訳すのに苦労する。
欧州連合内では,構成国の法制度が異なっていても同じ法的効果を出すような調整が必要になることがあり,そのような文脈で「ハーモナイゼーション」が用いられることが比較的多い。そこで,私は,最近では,「整合性をとること」または「整合性をとれるようにすること」といった意味を示すような訳をすることが多くなった。
では,整合性を保つためにはどうしたらよいのか?
法制度(システム)は,ハードウェアとソフトウェアとからなっている。
ハードウェアは,コンスティテューションそのものなので,憲法改正をしないと修正できない。要するに,ハードの入れ替えということになるのだが,簡単にはできない。
しかし,ソフトの改善で同じタスクを処理できるようにすることはできる。
ただ,ソフトも異なるので,異なるハード(システム)間ではプロトコル変換が必要となる。
「制度を導入すること」というのは,実は,「プロトコル変換をすることができるようにすること」を意味し,これこそがハーモナイゼーションの本質にほかならない。
では,変換できるようにするためにはどうしたらよいのか?
変換のための仕組みさえつくれば足りることもある。言語が異なっていても,同じタスクを同じように処理することが既に確立されている場合には,要するに翻訳さえできれば,相互に通信可能となる。
しかし,実際には,ソフトの一部修正が必要となることが多い。そうしないと,プロトコル変換の前提となるタスク処理の機能面での整合性をとることができないからだ。要するに,同じタスク処理ができるようにソフトウェアを修正しなければならない。各国における法改正は,まさにそれに該当する。場合によっては,処理の対象となるタスクの見直しが必要となることもある。これがなかなか面倒だ。
以上のように整理してみると,ハードの入れ替えをしないとどうにもならない問題とソフトの修正でどうにか対応できる問題とがあることがわかる。
しかし,ソフトの修正をすると,修正前の状態のソフトであるために利益を得ていた人々が飯を食えなくなってしまうようなことがしばしばあるので,単純に修正すればそれでよいというわけでもないところが非常に難しい。あるタスクが存在するために飯を食うことができる人々は,そのタスクがなくなってしまうと飯を食うことができなくなってしまう。タスクの見直しは,かくして,人々の生き死にを左右することになるのだ。
社会というものは,欲望の集合体なので,欲望を充足できなくなってしまう人々からは必ず不満が出る。そういうわけで,タスクの見直しもソフトの修正もなかなか進まない。ハードの入れ替えなどは当然無理。
その結果,プロトコル変換も進まないというのが現状というものではないかと思う。
明治維新以来,西欧から文化を翻訳して導入することは可能だという前提でやってきた。これは,プロトコル変換だけする(または,したフリをしてどうにかやりすごす)というような姿勢だと考えることもできる。
しかし,実は,そう簡単なことではない。
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