白井久美子『最後の前方後円墳-龍角寺浅間山古墳』
下記の書籍を読んだ。出版年月日は2016年6月15日となっているが,既に三省堂本店の書棚に並んでいたので購入した。
白井久美子
最後の前方後円墳-龍角寺浅間山古墳
新泉社 (2016/6/15)
ISBN-13: 978-4787715395
かつて,ほぼ全部見て回ったことのある古墳群なので,非常に興味深く読んだ。
出土物を綺麗なカラー写真付きでまとめて書いてある書籍としては,他にあまりないので,非常に助かる。
ただ,宝冠の復元図には疑問がある。
また,古代史の推定についても疑問がある。地方の首長レベルでの権力交代があったことは事実だと考えられ,私もその方向でずっと検討してきた。しかし,在地の豪族が次第に力をつけて・・・云々は幻想だと考える。新たな権力者による征服と支配という文脈で考えたほうが良いと思う。
『古事記』や『先代旧事本紀』を金科玉条にする気はさらさらないが,全く火のないところに煙はたたないので無視することは許されない。全体として整合性のある解釈としては,何らかの強力な軍事力をもつ征服が何度か繰り返され,従前の権力者が敗北したという重層的な歴史観,そして,倭の諸国を軍事攻略・統合して成立した日本国は,その成立の当初から武家社会であり,第二次世界大戦頃までずっとそうだったという歴史観をもつことが大事だと考える。いわゆる唯物史観は成立の余地がない。
(余談)
因幡の白兎の「因幡」と印旛郡の「印旛」とは同じではなかとうか。この点だけはほぼ通説なのではないかと思われる。
そこからあとの説明は,諸説ある。
雑駁な私見としては,海の向こうから渡ってきていい気になっていた兎(秦族・忌部)の中のある者らは,諸王の反感をかって報復され,大国主の助力で安房に移動することになったというような歴史があったのではないかと思う(「蒲」は植物のガマに固執して考えないほうが良いかもしれない。)。房総はとても良いところで,住みやすく,生産性が高いので,必ずしも左遷的な出来事だったというわけではないと考えるべきだろう。
ただし,近江に残留した秦族も多数あり,その中には西武グループの始祖まで続くことになった一族もある。巨大な墓所を構築しそれを守護する拝殿としての機能をもつ寺院を造営することは,血のなせるわざということなのではないかと思う。
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