咲くやこの花
難波津の歌というものがある。近年,木簡等で大量に発見され,話題となっている。それと関連する書籍も出ている。
栄原永遠男
万葉歌木簡を追う
和泉書院(2011/1/31)
ISBN-13: 978-4757605541
その歌は,このようなものだ。ただし,原文は万葉仮名で書かれているので,このような読み下しが本当に正しいかどうかは別問題としてある。
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
「咲くやこの花」が2回出てくる。
普通は,同じ花のことで,「櫻」だと解釈されている。
私は,上の句の花は「櫻」だが,下の句の花は「蘭」だと解釈する。
植物の生理・生態・植生とマッチしているというだけではない。
両方合わせると「楼蘭」となり,「難波」の語源と考えられる「楼蘭(樓蘭)」の梵語漢音訳「納縛波」(私見)と一致する。
「津」は,梵語漢音訳から転じたものだとすれば,「都」または「宮殿」と解釈することができる。
西域からはるばる移動し,朝鮮半島を経由して日本列島までたどり着き,やっと安住の地を得た瓦職人や宮大工達がはるか遠くなってしまった故国とその美しい姫様のことを思って歌ったものかもしれない。
なお,楼蘭(樓蘭)の支配階級は,コーカソイドに属し,ケルト~スキタイ系の文化をもっていたことが知られている。玄奘三蔵の時代には仏教徒になっていたが,古い時代にはゾロアスター教を信仰していたのではないかと思われる。
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木花咲耶姫(木花之佐久夜毘売)は,櫻の象徴としてとらえられることが多い。
字義のとおり,櫻は樹木であり,木に花が咲く。
しかし,木花咲耶姫(木花之佐久夜毘売)がまずあり,そこから「咲くやこの花」の句が生まれたのではなく,逆に,難波津の歌がまずあり,そこから木花咲耶姫(木花之佐久夜毘売)との名が生じたと考えることは可能ではないかと思われる。
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日本では,「桜」の旧字(繁体字)として「樓」ではなく「櫻」を用いることが多い。これはこれで意味のあることだろうと考える。
「櫻」のつくりは,財産(貝)を重ねた姫なので,「財重姫」となる。斉明天皇の名を「天豊財重日足姫尊」という。素人の想像なのだが,その実名は「櫻姫」または「櫻子姫」だったのではなかろうか。
(追記)
漢語としての「櫻(樓)」は「る」または「ろ」または「おゥ」のような音で,「さくら」と発音することは決してあり得ない。
「さくら」との倭訓の語源については諸説ある。
染郷正孝『桜の来た道-ネパールの桜と日本の桜』(信山社,2000)79~80頁には,「神(さ)の座(くら)」を示すものと解する見解が紹介されている。
どうもこれが正しそうな感じなのだが,更に考えてみたいと思う。
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