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2016年4月 1日 (金曜日)

万葉歌人が目にした「櫻」はサクラか?

「櫻」と書かれている植物が実際にはどのような植物を指すのかについては,確証が一切ない。

慣習的に和名「サクラ」という植物だろうという信念だけが存在している。

信念は観念または想念の一種であり,事実ではない。

では,一体どのような植物だったのだろうか?

私は,和名「アンズ」または「スモモ」のような植物だったのではないかと考えている。そのアンズ及びスモモもまた野生種ではなく,アルメニアあたりから何百年もかけて極東の地にたどり着いた人工的な品種の子孫であることにほぼ間違いない。

「櫻」が旧暦4月に咲く花だということにあくまでもこだわるとすれば,たぶん,和名「モモ」の晩生品種くらいしか該当がない。新暦4月の花であるためには旧暦2月(4月-2月)の花である必要がある。すると,旧暦正月の「梅」が十月櫻で旧暦4月の「櫻」がウメという仮説も成立可能かもしれない。しかし,香りの問題が残るので,この仮説に立脚する場合,香りの描写は全て空想だったと推定するしかなくなる。

十月櫻は,新暦10月だけに開花するのではなく,新暦10月~新暦翌年4月頃までの間,断続的に開花し続けるという特性を有するので,この期間内であれば他の植物との自然交雑はあり得る。

古代において渡来した十月櫻のような植物がアンズやスモモのような植物と自然交雑して様々な古代サクラ品種を形成した可能性はあるが,たぶん,大半は滅んでしまったのだろう。

かろうじて生き残った珍しい例が「ヤマザクラ」ということではないかと思う。

現在の日本人がサクラだと信じている植物の圧倒的多数は江戸時代に交配によって作出された人工植物(園芸品)だ。野生植物ではない。

いずれにしても,古代の詩歌を解釈する場面において櫻を春の季語とすることは廃止または禁止したほうがよいかもしれない。

現在のサクラ品種の多くは,季語に合わせて人為的に開発されたものなのだろう。

少なくとも『万葉集』等の解釈をする場合,自然科学上の知見に従えば,そこに描かれている「櫻」が新暦4月に開花するものとは限らないということを念頭に置き,個別に丁寧に解析をする必要がある。

おそらく,日本文学の基底にある何ものかがほぼ全面的に瓦解の時を迎えているのだろうと思う。

その虚妄の全てが本居宣長に由来するものなので,本居宣長の言説を一切無視するところから正しい文学論が始まると考える。

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