森郁夫『一瓦一説-瓦からみる日本古代史』
下記の書籍を読んだ。
森郁夫
一瓦一説-瓦からみる日本古代史
淡交社 (2014/7/20)
ISBN-13: 978-4473039514
古代の瓦に関する書籍は結構たくさん出版されている。必要があって,日本,韓国(日本語訳),中国(中文)の関連書籍をほぼ網羅的に読み続けている。
この分野で出現する用語には特殊なものが少なくない。慣れると部分(構成要素)の名称等を自然と覚え,様式の相違なども理解できるようになるのだが,初学者にとって非常にとっつきにくい世界であることは否定できない。
本書は,導入部分の説明がきちんとしており,部分(構成要素)の名称が図示されているので,一般向け書籍としては非常に良い例ではないかと思う。
内容的にもわかりやすく,『日本書紀』の記述を鵜呑みにして百濟人だけが瓦をつくったかのような誤解を解消するのにはとても良い本だと思う。
一般向けの書籍としては推薦できる書籍として評価できる。
しかし,非常に細かな点について述べると,問題点を指摘できないわけではない。
例えば,百濟人にしろ,高句麗人にしろ,新羅人にしろ,それは国籍的な意味でどの国からやってきたかを示しているだけで,人種や民族を示しているわけではないという点が明確にされていない。先学によって既にペルシア人等の西域から来た人々の可能性が示されており,私もそうではないかと思っている。彼らにとって朝鮮半島は単なる通過点に過ぎない。現代社会におけるような意味で,単一民族による主権国家があったかのような誤解に基づき,百済,新羅,高句麗等の国々を想定することは,それ自体で狂っているとしか言いようがない。全て多民族国家だったことは,中国の正史(『梁書』など)にもちゃんと書いてある。
また,日本国におけるある時期のある寺院については軍隊により瓦が製造された可能性が示唆されており,私もそうではないかと思う。しかし,その「軍」または「軍制」というものの理解に疑問を感じた。奈良時代~平安時代を武家社会のような軍事豪族による武力支配体制下の時代として理解すれば全てが解決するし,また,軍隊による寺院造営や農地開拓等を魏晋南北朝当時の屯田と同じようなものとして理解すれば疑問が全て解消する。唯物史観に基づき,貴族社会を経過しないと武家社会が到来しないと信じ込んでいるから間違ってしまうのだろうと思う。『古事記』でも『日本書紀』でも,天孫降臨と神武天皇東征によって日本国ができたと明記しており,軍事侵略と征服が国家の起源だと明記されていることを無視してはならないと思う。私見では,遅くとも古墳時代には武家社会になり,以後,第二次世界大戦の敗戦までずっと武家社会だったと考える(明治維新後の時代には,刀剣ではなく銃が主たる装備となったが,それでも,刀は「大和魂」であり続けた。)。ユーラシア全体をみても,古代ケルト~スキタイの時代には既に武家社会であり,以後,近代に至るまでずっと,武力をもつ者とその子孫が社会を支配し続けてきた。その中で,文化的な変化はあるが,進化論的な説明がなされることの多い段階的な発展のようなものはない。観念の体系である唯物史観を一応措いて,事実としての歴史を直視することが大事だと考える。
加えて,久米氏等との関連で氏族の関与の問題が述べられており,確かに,うまく説明できない部分だろうと思う。しかし,植物分類学をやっていると,「別名(Synonym)」というものが多数存在するということを認識することができるし,どうしてそのようなことになるのかについても一定の推測をすることができるようになる。古代の史書も同じだろう。別名に過ぎないものは同一の事象の別表現なので,別の事象ではない。そのようにして,名寄せ的な考察を進めてみると,非常にすっきりと理解できることが多い。
以上のような問題点を感じたが,これは瓦それ自体というよりも,瓦に対する評価の際に前提となる知識や観念の問題に属する。
なかなか難しい世界だと痛感した次第。
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