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2016年3月22日 (火曜日)

Oscar Montelius, Der Orient und Europa

Amazonに出展しているBook Depositoryというところに注文していた下記の書籍が届いたので,早速読んでみた。

 Oscar Montelius
 Der Orient und Europa
 Aischines Verlag (2014)
 ISBN-13: 978-3738792300

そんなに厚くない書籍なのだが,内容はとても素晴らしい。感激した。

この書籍の著者については全く知らない。しかし,相当頭の良い人で,特にパターン認識能力が著しく優れているのではないかと思う。

全篇を通じて納得することが多く,購入してよかったと思う。

ところで,かつてのような大和民族云々の歴史学は既に過去のものとなり,現在では,東アジアの大きな流れの中でものごとを考えるというのが主流となりつつある。しかし,ある種の危険性があると考えている。それは,中華思想の亜流である場合があるからだ。そうではなく,もっともっと広い視野をもつべきだ。

本書を読んでみると,日本の古代の遺物がいかに欧州の遺物と直結しているかを痛感することができる。アジアもまた同じ。

何か共有の古代文化の基層のようなものがあると考えざるを得ない。

更に,本書では全く論じられていないが,仏教における祭祀の特殊性というものを考え始めている。

仏塔(ストゥーパ)の起源は,やはり,ケルト的な祭祀文化を基礎としていると考えるのが妥当だと思う。しかし,大事なことは,そこには特定の個人としての王なのではなく,抽象化された「舎利」というものが礎石部分に埋納される。

個人崇拝ではなく,「法」に従うという姿勢は,堕落した仏寺等ではなく本来の仏陀の教えというものを考えると,独裁者や君主の崇拝によって成立している野蛮な国家体制というものを克服するための当時としては極めて先鋭的なものだったのだろうと思われる。

しかし,現実の世界は,より強力な物理力をもつ者が支配することができるという物理法則によって決定されており,理想も正義も平和も全く問題にならない。勝った者にのみ正義があり,敗者には歴史などないのだ。事実は事実なので,そこから目を背けることはできない。

それゆえ,本来の仏陀の教えがほぼ完璧に正しいとしても,現実に存在している世俗社会において世界を支配する原理にはなり得ないのだろうと思う。

悲しいことだと思う。

そのようなことはあるが,文化史という文脈で考える場合,考古学上の考察だけでは乗り越えられない壁があるということは認識すべきだと思う。

もっと広く,「全人文科学」とでもいうような姿勢で学問を深め続ける必要がある。

学際研究は,共同でやってもあまり効果があがらない。各人のベクトルが異なるので,まとまることがないのだ。「共同研究をやれば常にうまくいく」といったような風潮があるし,私もそのようなことをしてきたけれど,何か新しいことを生み出すためには,ほとんど役にたたないということを認識すべきだろうと思う。共同研究という手法は,基本的には,研究対象である情報やデータが大量である場合,複雑な問題であっても多数の部分問題に分解できる場合などに,統一的な処理方針に基づいて分担作業を実施することが意味のあるような検討課題についてのみ有効な手法だ。

そして、共同研究という手法は,それ自体として,新規の学問をつくりだす能力をもっているわけではない。

特定の個人である非常に優れた研究者が潤沢な研究予算を使って全学問的・全学際的研究を深めるほうが,よりよい成果をあげることができるだろう。

自戒の気持ちを込めて。

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