ブライアン・フェイガン(東郷えりか訳)『千年前の人類を襲った大温暖化-文明を崩壊させた気候大変動』
下記の書籍を読んだ。
ブライアン・フェイガン(東郷えりか訳)
千年前の人類を襲った大温暖化-文明を崩壊させた気候大変動
河出書房新社(2008/9/30)
ISBN-13: 978-4309252254
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309252254/
学術書のような精密さはないが,一応論拠を示しているので,そういうこともあるのかと感心しながら読んだ。
284頁には,比較的詳細な気温の変化のグラフが示されている。これを見る限り,植生の水平方向・垂直方向への変動が比較的大規模に発生し続けていると理解するしかない。
地球上の全ての地域で均一に同じような気象変動が発生するわけではないので注意を要するが,縄文時代のかなり高温の状態から次第に気温が低下した後,10世紀前後には比較的暑い時代があり,その後,小氷期となったと考えるのが妥当そうだ。当然のことながら,それに伴う海水面の高さの変動もある。
もっと精密に数値を示した書籍はないものかと探索中。
(余談)
本書の著者は,地球温暖化論者なので,寒冷化による文明の壊滅という現象についての記述は極めて冷淡だ。
しかし,寒冷化によっても乾燥化・砂漠化が発生し得ることは常識の範囲内にあるし,また,それによって民族の大移動が発生し得るので,移動先の文明が破壊されることはあり得る。
文明の破壊というかどうかは別として,民族がまるごと消滅または壊滅的に衰退してしまうことは多々あったと推定される。
例えば,古い史書を丁寧に読むと,匈奴は,漢の武帝等よりも弱かったから負けてしまったのではない。急激な寒冷化による餓死や凍死により勢力を急速に減衰させ,残存者の内部抗争等から自滅的に消滅してしまったのではないかと推定される。他方,漢の武帝は,侵略主義者であるがゆえに現在のベトナム北部等への南下政策を断行したのではなく,中国北部の気候が厳しく寒冷化してしまったために,より温暖な南方への進出を考えたのかもしれないと思う。そのように考える場合,倭國との関係もまた,気象変動によって発生したと推定することが可能だろう。おそらく,この時代において,匈奴系や東胡系だけではなく,漢帝国からも相当大量に倭國への移住があったと考えることができる。それらの人々は,方形の墳墓をつくることを後世まで伝え,魏晋南北朝のころまでそのようなことが続いたと考えている。
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