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2016年2月 9日 (火曜日)

光陰矢の如し

和解頃には金子由香利さんの歌うムスタキの「時は過ぎてゆく」が好きで聴いたりしていたのだが,そういう無為な時間を空費してしまったために,まさに光陰如箭の状態に陥り,寸暇を惜しんで勉学に励む状況となっている。もっと勉強していれば良かったと本当に悔やむ。自分の無学非才を思い知る日々・・・

不勉強を認識したついでにちょっと調べてみた。

「光陰如箭」は,蘇軾の「行香子・秋興」に「秋來庭下 光陰如箭 似無言 有意傷儂」とあるのを典拠とする例が多い。

この蘇軾の詩は、羅鄴「歎別」にある「人在光陰似箭流」,白居易「閒居春盡」にある「垂老光陰速似飛」,李存勖「歌頭」にある「惜惜此光陰如流水」を踏まえたものだろうと思う。

意味的には,『顏氏家訓』の「勉學」にある「光陰可惜 譬諸逝水 當博覽機要 以濟功業 必能兼美 吾無閒焉」がルーツになっているのではなかろうか。

まさに「光陰惜しむべし」。現代語では,「寸暇を惜しむ」と同義となる。

後代の『西遊記』には「光陰迅速」が何度も出てくるし,『金瓶梅』には「光陰似箭」が随所にあるが,ちょっと違う文脈で用いられているので,語源とすべきではないように思う(ただし,人によっては,まさに,『金瓶梅』を典拠とすべきことがあるかもしれない。文脈による。)。

『封神演義』には「光陰瞬息」、「似箭光陰」、「光陰似箭」、「光陰迅速」が何度も出てくるので,遅くとも明代頃には定型句のようになっていたのかもしれない。しかし,ここでの用例は『西遊記』とほぼ同じと考える。

やはり,『顏氏家訓』の「勉學」を学ぶべきだろう。

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