埴輪の頭の上にある少しくびれた板状のものは何か?
埴輪の頭の上にある長方形の板状のものが冕冠(べんかん)と呼ばれる冠のようなもので,古代においては男性も女性もかぶったものだということは一応解明できた。
次に,同じく板状のものだけれども真ん中のあたりが少しくびれたような感じになっているものについて考えている。例えば,有名な埴輪としては,「腰かける巫女」と名付けられた群馬県大泉町古海出土の埴輪(東京国立博物館蔵)がある。今城塚古墳の埴輪の中の踊る巫女のような埴輪にも同じようなものがある。
これまた,通説は,島田髷だというのだが,全く納得できない。
大きいけれども扁平な糸巻きのようなもので,本当に糸巻きだったかもしれないと考えている。
これまた中国にルーツがあるに違いないと考えて探してみたら,あった。
雲南省の晋寧石寨山墓地という遺跡から出土した「八巫舞」と名付けられた金属装飾品の上の段の女性の頭の上にあるものが全く同じ形をしている。
この遺跡は,前漢(西漢)の時代に滇國という国があったところで,その習俗をあらわすものだろう。基本的には,ケルト(スキタイ)的な要素が非常に濃厚で,「四人鈴舞」と名付けられた金属製装飾品の頭には三角帽子がある。まるで,カザフスタンのイッシク古墳出土の「黄金人間」と同じようだ。おそらく,カザフスタン~甘粛省あたりを経て入ってきたものだろうと思う。
同じような極めてスキタイ的なとんがり帽子を被った人物像は,雲南省江川李家山遺跡から出土し「四舞俑銅鼓」と名付けられた銅鼓の装飾にもみられる。
「八巫舞」の人物も「四人鈴舞」の人物も胸のあたりにペンダント状にして大きな鏡のようなもの(←一般的には「傘」だと思われているようだ。)をぶらさげている。倭國の古代の祭りもそのようなものだったのだろうと思う。
雲南は,ケルト(スキタイ)だったと考えられる。しかも,倭人的でもある。おそらく,倭人の祖と同じ人々が農耕生活(稲作)をしているところに騎馬民であるサカ族(月氏など)すなわちケルト人(スキタイ)が侵入して武力により支配し,金属器の生産をしていた地域ということになるのだろうと思う。倭國にも全く同じ支配体制がそのまま移動してきた可能性は否定されない。ここには銅鏡で示される日神と騎馬武将の剣があり,そして,月氏はツクヨミ(月神)を連想させるのに十分だ。
雲南には,現在でも「倭族」と呼ばれる少数民族が暮らしており,見た目は日本人とそっくりだ。
かくして,「腰かける巫女」と名付けられた群馬県大泉町古海出土の埴輪(東京国立博物館蔵)の頭にあるものも,島田髷ではなくて何らかの板状の装飾品で,たぶん,大きくて扁平な糸巻きのようなものだったのではないかと思う。
機を織る乙女といったところだろうか。あるいは,機織りの際に用いる杼(ひ)の一種だったのかもしれないと思う。
なお,雲南省の遺跡からの発掘品は,張正明・邵学海主編『長江流域古代美術史前至東漢 青銅器 下』(湖北教育出版社、2002)に収録されている。
| 固定リンク
コメント