Ruciano Floridi, The Fourth Revolution - How the infosphere is reshaping human reality
昨年,下記の書籍を購入し,昨年中に読んだ。
Ruciano Floridi
The Fourth Revolution - How the infosphere is reshaping human reality
Oxford University Press (2014)
ISBN-13: 978-0199606726
「個人」というものの本質に関して,私見と同じような個人の本質を「記憶」としてとらえるような発想から始めて,現代の科学が「個人」の本質に及ぼす深刻な影響について多角的に論じている。
本書の中で比喩として用いられているオデッセウスの逸話はまことに象徴的で的を得ていると思う。
私は,これまで,以下のようなことを考えてきたし,その一部は既に論文等として公表している。
すなわち,従来,「個人」は,動物の物理的単位としての「個体」という概念から出発して,動物の中のヒトの場合だけを「個体」ではなく「個人」と呼ぶというものとし,その概念を基礎として個人データ保護法制が構築されている。
しかし,物理的な「個人」が多層の「ペルソナ」によって構成されていることは古代ギリシアからずっと知られてきたことなので,その属性値は一定しない。それでも物理的な「個体」としての「個人」が識別可能な限り,現在の個人データ保護法制は機能し得るだろう。
問題は,ICTの発達により,「ペルソナ」が異なる場所に散在するようになり,しかも,それが独立に社会的実存として機能しているということ,更には,物理的な「個体」と全く同価の別個体が複数併存し得るようになったこと,それらが複合的・多重的に併存する状況となっていること,そのような状況を踏まえ,ビッグデータ解析等による物理的な「個体」としての「個人」を把握するための技術が高度に開発されてきていることなどの状況変化にある。
社会の統治者としては,仮想の実存としての「ペルソナ」が多数存在しているとしても,物理的な個体としての「個人」を把握し,必要に応じて対処すれば統制が可能だと考えている。確かに,普通の市民のレベルだとそうかもしれない。しかし,社会的に強い力をもつペルソナが存在している場合,肉体が滅びてもペルソナは生き続ける。例えば,イエス・キリストや仏陀を想像してみれば理解することができるだろう。単に記憶として存続するというだけではなく,その信奉者達がより理想化し強化したペルソナを構築(再構成)し,伝承していくことになる。このようなことを考えると,いずれ「デジタル・ジェノサイド」のようなことが発生するのではないかと思う。
他方で,遺伝子技術の発達はクローン製造を容易なものとし,また,人工知能技術の発達は記憶の移転を可能とするようになるかもしれない。細胞レベルでのクローンを製造しても記憶の移転がなければ「個人」の複製とは言い難い部分があるが,記憶も同一であれば物理的にも観念的にもクローンと言えるだろう。そのような時代になると,物理的な「個体」としての「個人」を把握しているだけでは,統治者としては個人を全く把握できていないのと同じことになる。観念的には,ほぼ全ての統治システムが機能不全に陥ることになるだろう。
ロボットには,それらの問題が集中的に現れる。
現時点における法学者の多くは,求められるレベルに達していない。問題の本質の理解にまで至っていない。行政庁の法制担当者はもっとそうだ。それゆえ,常に,社会的に機能しそうにない法制ばかり構築し続けることになる。本当は,本質は,もっと別のところにあるのだ。
私は,これまでずっと以上のような問題を考え続けてきた。
本書においても私見と同様の検討がなされており,それらの問題の本質について実に明晰に述べられている。
文章力においては,とても素晴らしく,私などは足元にも及ばない。
本書の著者は,とても頭の良い人なのだと思う。私よりも10歳ほど若いので,今後,非常に多くの業績を残すことができるだろう。
古典的な「ペルソナ」を現代の科学技術で構成された社会の中での表現型として見事に描き出していると評価することができる。
本書は,いずれ名著として評価されることになるのではなかろうか。
プライバシー法や個人情報保護法の研究者にとっては必読の文献の1つだと言える。
ただ,現実の事態は更に先のところにまで進んでいると考える。
「ヒト」だけを考えていれば足りる時代は既に終わっている。
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