烏恩岳斯図『北方草原考古学文化比較研究-青銅時代至早期匈奴時期』
本日,下記の書籍を購入した。まだ読み始めたばかりだ。
烏恩岳斯図
北方草原考古学文化比較研究-青銅時代至早期匈奴時期
科学出版社(2008/3)
ISBN13:9787030213471
写真はなく,手がきの図版ばかりで,本文をまだちゃんと読んでいないので断定的な言い方は避けたいと思うのだが,多数収録されている図版を見る限り,「匈奴=スキタイ」以外の結論はあり得ないように思う。
あくまでも理屈の問題としては,スキタイと推定可能な発掘品だけを恣意的に選択しているようなことが絶対にないとは言えないのだが,本文をざっと読んだ限りにおいては,そのような恣意的な取捨選択はなされていないように思う。
今後,この分野の書籍が多数出版されることを強く望む。
(余談)
林俊雄氏は,『スキタイと匈奴-遊牧の文明』の中で,当時の匈奴と漢の人々は「どのような言葉で会話をしたのだろうか?」との疑問を発している。私もそのように思う。
そればかりではない。倭人との接触も絶対にあったはずなのだが,倭語とスキタイ語とは同じようなものだったのだろうか?
漢の時代には,もちろん,漢字を用いて漢文が書かれた。その読みは,スキタイ語だったのか,倭語だったのか,それとも漢語だったのか・・・?
実は,古い漢文を読んでいて,日本の高校等で教える文法や語彙では間違いではないかと思うことが多々ある。日本語風に素直に読んだほうが正しいのではないかと思われることがあるのだ。素人ゆえの誤解かもしれないのだが・・・
(余談2)
雪嶋宏一『スキタイ-騎馬遊牧国家の歴史と考古』(雄山閣,2008)4頁では,ヘロドトス『歴史』を引用して,スキタイのアッシリア語名を「イシュザーヤ」または「アシュクザーヤ」との呼び名を紹介している。「アシュク」は「アショカ」と類似し「飛鳥(あすか)」とも類似している。
また,同書5~6頁では,同じくヘロドトスを引用して,スキタイ(サカ,サハ)は3族に分かれており,東には「アミュルギオンのサカイ人」が住んでいたとの伝承を述べている。この東とはペルシアからみて東であることが明らかなので,普通は中央アジア付近を推定し,同書でもバクトリアあたりだろうと推測しているように読める。しかし,「アミュルギオン」はバクトリアから天山北路で連絡して蒙古高原あたりまでのかなり広い範囲を指すものだったと解する余地はあるのではないかと思う。
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