和田萃編(田原本町記紀・万葉事業実行委員会監修)『古事記と太安万侶』
下記の書籍を読んだ。
和田萃編(田原本町記紀・万葉事業実行委員会監修)
古事記と太安万侶
吉川弘文館(2014/11/20)
ISBN: 9784642082617
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b182787.html
本書は,2012年11月18日に開催されたシンポジウム「やまとのまほろば田原本」の内容を記録・文字化したものとのことだ。
最近出版された書籍の中では,多氏,多神社等について最も詳しいものではないかと思う。
とても勉強になった。
田原本町は,以前から注目していたところで,2014年2月に趣味の会の雑誌に書いた「阿可利薬」で当時の私見を少し書いた。当時は,『魏志倭人伝』に直結する地域だと考え,そのような考えに基づいていろいろと思いを巡らせていた。
阿可利薬
http://cyberlaw.la.coocan.jp/Documents/Akari_kusuri.pdf
本書を読んでみて,検討の足りなかった部分が多々あることに気づいた。
例えば,「少子部連」の検討が十分ではなかった。単純に考えて,「多」=「大」と考えれば,宗家である「多氏」が「大国主」であり,それに付随すると推定される「少子部」が「少彦名」となることを容易に連想することができる。
「田」は「口」と「王」を重ねた字となっているので「田」だけで「国王」を意味すると解釈可能なことはこれまで何度も述べてきた。そして,「王」=「大」=「多」は明らかだと思われる。
「原」は「羅」と同じで,「国」を意味する。
本書の中では「屯田」についても触れられている(8~10頁)。私は,「屯田」というものに着目し,『艸-財産権としての植物(1)』を書いた。着眼点に間違いはなかったと思う。
艸-財産権としての植物(1)
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/17257/1/horitsuronso_
87_2-3_207.pdf
そして,「屯田」は,古代中国(漢~三国時代頃)の制度なので,やはり,『魏志倭人伝』と直結するのはこの地域なのだろうと思う。
かつて唐古遺跡と呼ばれた遺跡は,田原本町の方向に鍵地区まで伸びていることが判明したため現在では唐古・鍵遺跡と呼ばれている。「鍵」は正に謎を解く鍵ではないかと思う。なぜなら,「狗奴国」の「狗」の音と「鍵」の音とが似ているからだ。推測だが,この地域にもとは「奴国」があったと考える。そして,魏軍に支援され,黄幡を掲げた邪馬台国によって征服が行われたのだろうと推測している。
ただし,タイムマシンがあるわけではないので,単なる空想にとどまる。
唐古・鍵遺跡や纏向遺跡の歴史上の位置づけについては,専門家の間でも意見が分かれている。私見としては,弥生時代の遺跡の住人とは異なる支配者と社会体制によって交代のようなものがあったとの見解を支持したい。考古学上の発見を丁寧に観察していると,どうもそのようにしか考えられない。そのような政治体制は,『古事記』に記された推古朝まで続いたということなのではなかろうか(逆から言えば,その後は王朝交代のような出来事があったと考えざるを得ないことになる。)。
唐古・鍵遺跡(からこ・かぎいせき)国史跡
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/03_sightseeing/ruins/karako-kagi.html
纒向遺跡ってどんな遺跡?
http://www.makimukugaku.jp/info/iseki.html
纒向遺跡とは? その調査と研究成果が示す全体像
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-10/2014_03_25.htm
本書には,第二部として,寺川眞知夫氏の『古事記』の成立に関する論説,辰巳和弘氏の「ヒイラギの八尋矛」に関する論説,上野誠氏の古代酒宴歌に関する論説,この3氏による鼎談が収録されている。どれも勉強になるものばかりなのだが,上野誠氏の酒に関する論説に特に興味をもった。
(余談)
田原本町には,鏡神社が4つある。その所在地を順に線で結ぶと長方形をしている。
結界の一種のようなものかもしれない。
また、このあたりは桃太郎伝説の発祥の地ともされている。何やら考えたくなる。ちなみに,この周辺では古代から桃が栽培されていたということが考古学上の発見によって証明されている。
田原本町には秦族の地域があり,秦氏を神官とする秦神社もある。秦氏と兎とは切っても切れない関係にあると考えられ,何やら大国主の神話と関連がありそうな気がする。
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