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2016年1月 8日 (金曜日)

木村正俊『ケルト人の歴史と文化』

図書館にあったので,下記の書籍を借りて読んだ。

 木村正俊
 ケルト人の歴史と文化
 原書房(2012/12/28)
 ISBN-13: 978-4562048731

歴史について語っている骨格部分は通説に従うもので,既に知っていることばかりだったのだが,とりあえず記憶を整理し,知識を確実なものとした。

古代についていろいろと調べ,考えてきた後に何年かぶりでケルトの歴史と文化に関する書籍を読んだこともあって,以前にはあまり気にしていなかったことでも随分と気になってしまう自分に気づいた。

書籍のカバーにある円形の鏡の図柄は,細部の造形の相違を無視すれば,漢代の中国の銅鏡と基本的には同じものだと感じた。そこで,ネットで誰か書いていないかと調べてみたら,さすがに鋭い方がおられる。心底感服する。

 中国漢代鏡とケルト円盤 分割合成図版 作成
 http://revorida.sblo.jp/article/61939025.html

 ケルト円盤等の同心円比較検証
 http://revorida.sblo.jp/article/28435158.html

本書の95頁にあるケルト人のラッパは,アルペンホルンとして現代まで伝承されているものと全く同じものだろうと思う。

本書の202頁にあるドルメンが東アジアにあるドルメンと全く無関係なものとは到底考えられない。どこかでつながっているのに違いない。

本書の205頁にあるニューグレンジの遺跡の写真を見ると,何となく,楯築遺跡(岡山県倉敷市矢部)とその周辺の遺物のことを思い出してしまう。

本書の272頁にある「ダロウの書」と277頁にあるピクト人の石板をみていると,どう見ても大極紋(巴紋)があるように見える。ネットで英語のサイトを調べてみたら,同じようなことを考えている方があるようだ。妙な民族意識等の先入観なしに観察すると,誰でもそのように見えるものかもしれない。

 The Mauri osismiaci
 http://lukeuedasarson.com/NDmauriOsismiaci.html

ケルトの巴紋様に関しては,相京邦宏「ケルト人のMatronae信仰-ケルト・ゲルマン・ローマそしてギリシア,四つ巴の宗教融合」歴史人類19号(1991)178~208頁という論説があるようなのだが,私はまだ読んでいない。今度探して読んでみようと思う。

ちなみに,本書によれば,ピクトとは,英語のPictureの語源となったラテン語と同じもので,要するに「彩色する人々」という意味らしい。中には身体に彩色したものとする見解もあるようだ。この見解に従えば,ピクト人は,『魏志倭人伝』等に描かれている「倭人」と似た要素をもっていたということを示すことになる。ピクト人だと確実に言えるようなDNAサンプルが存在するのかどうか知らないけれども,日本の縄文人や弥生人のDNAサンプルと比較してみると,意外な結果が出たりして・・・と,つい期待してしまう(笑)

本書の161頁には,エポナ神の石像の写真がある。これは,中国の少数民族と同じだと思って調べてみたら,さすが,既に調べて論文を書いている方があった。これまた心底感服する。

 伊藤三朗「貴州省麻江県の“跳馬”について-馬との関りで見た豊饒・成育儀礼-」
 比較民俗研究8(1993)49~70頁
 http://jairo.nii.ac.jp/0025/00005958

ところで,「ケルト人」とは何かという点については,通説の考え方を前提にしても実は多義的だということを理解することができる。基本的には,ヘロドトスの『歴史』,カエサルの『ガリア戦記』等の資料から古代のケルト人の存在と文化が推測されている。考古学上の発見は,そのような概念を絶対的な前提として「あてはめ」により位置づけられていると考えることができる。

しかし,本書を読んで疑問に思ったことが多々ある。

その中でも,特に,「スキタイと完全に区別できるのか?」という点については,相当に疑問だと思う。

例えば,本書にカラー写真としても収録されているケルトのものとされる黄金の兜は,とんがり帽子の形状をしており,これを「スキタイの冑だ」と言って見せられれば「なるほどそうか」と思ってしまうようなものだ。つまり,明確に区別がつかない。

また,例えば,牛や羊の角の問題がある。ケルト人のものとされる遺物の中には羊または牛の角と思われる2本の角をはやしたものがいっぱいある。彼らは,そのようなものを崇拝していたのではなかろうか。キリスト教が邪教と決めつけ,徹底して布教活動を行い,キリスト教化してしまったことには理由があるように思われる。

 リトルトン,マルカー(辺見葉子・吉田瑞穂訳)『アーサー王伝説の起源―スキタイからキャメロットへ』
 http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-3f1c.html

スキタイだけではなく,ユーラシアに広く存在する習俗と関連するものが多々ある。つまり,ケルト文化とされてきたものがアイルランドやブルゴーニュ等の「西洋人」だけのものと考えるのは誤りではないかとも考えられる。その源流は,もっと古いもので,より普遍的なものであったかもしれない。

首狩りの習慣は,その一例だろうと思う。

本書によれば,武力を示すために,敵将等の頭部を切り取って門に飾る風習があったようだ。これは,東アジア~東南アジアにおいても広く見られるもので,日本でも武家政治の時代は基本的にはそのようなものだった。敵将の首をとってくることが大事だったのだ。現代でも,解雇することを「首(くび)」と呼ぶのは,その名残りだとされている。

こういうことを書くと,「とんでも学説」とされるのが普通で,まともに相手にされなくなるのがオチなのだが,まあ何というか,素人の雑駁な直観的印象として述べることくらいは許されるだろうと思う。

(余談)

あくまでも素人の直観的な感想に過ぎないが,「匈奴」及び「契丹(キタイ)」の音は,何となく「ケルト(Celt)」の音と似ているような気がする。

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