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2016年1月 8日 (金曜日)

なるほど

口語の「なるほど」は目上の者が目下の者に対して使う言葉なので,目下の者が目上の者に対して使うのはビジネスマナー違反だとの見解がある。

なるほど,そのように信じている上司に対する個別対応としてはそのとおりだろうと思う。

教養のない上司に対して教養で勝負するのは馬鹿なことで,「長いもには巻かれろ」というフリをするのが最も賢い。そして,適当なタイミングをみてそのような教養のない上司を無事に窓際近辺に御栄転していただけるようするというのが正しい部下道というものだろう。

一般に,言語は一元的ではない。理論的には,人間の数だけ異なる種類の言語が存在し,また,同一の者であっても異なる言語を状況次第で巧妙に使い分けているので,人工的な機械処理による言語処理は難しい課題の一つに属する。

要するに,「相手の実力と感性を素早く見抜く」という能力を育て,TPOに従ってカメレオンの如く素早く巧妙に変化する技法を習得することが大事で,世間によくあるノウハウ本とかハウツー本の類に書いてあることを覚えただけで大丈夫と安心する者は,必ず敗北する。

世間によくあるノウハウ本やハウツー本の類は,その程度の娯楽読み物の一種として楽しめばよろしい。また,世間にはどれだけ教養のない者が存在するか,世間にはどれだけ誤謬を常識と信じている者が存在するか,その誤謬にはどのようなものがあるかを知るためのサンプルを得ることのできる媒体としての利用方法もある。

その種の書籍を読んでいる間に,その書籍の著者の知性レベルを正確に測定できるようになれば立派な社会人になったと自己評価しても構わないだろうと思う。

(余談)

私は「法情報学」という科目を担当している関係で,「語」それ自体の社会的機能についてはいろいろと考える機会が多いほうだろうと思う。正しい考えかそうでないかは別として,とにかく考え続けていることは事実だ。

しかし,一般に,世間の上司というものはそんなに暇ではない。言葉尻をとらえて怒る時間があったら仕事をしていることだろうと思う。

また,最近では,敬語というものの存在それ自体があまり重要視されなくなってきているし,上司は上司で部下とのコミュニケーションの失敗によりパワハラ扱いされて出世の妨げになることを極度に恐れる傾向があることは否定できないので,面倒な問題は全部パスして何も感じないようにしているというのが本当のところではないかと思う(ちなみに,問題のある部下をもった場合には,訴訟を提起される可能性がない,または,提起されても必ず勝訴できるという見込みと合理的根拠をもった時点で,問題の部下を自ら空回りさせるようにし,「やめてやる!」といって依願退職してしまうように上手に仕向ける,というのが現在の社会において比較的普及している上司道というものではないかとも思われる。)。

言葉遣いそれ自体をめぐってごちゃごちゃいうのは,どちらかというと文明レベルの著しく劣る社会の兆候の一つなので,その程度のことだと思って,その場は無難にやり過ごし,内心では徹底的に軽蔑するといったタイプの人もいるだろうと思う。

基本的に,表現の自由も解釈(思想・信条)の自由もあるので,ある「語」についてどのように受け止めるかは各人の自由だと思う。国家が報道統制をして,ある表現について為政者の解釈だけを押し付けるような国家は,民主主義の観念が存在せず世界的に最劣等国であるとの烙印を押されても何も文句は言えない。「基本的価値観」とは,こういうことも含む。

ある表現の解釈をめぐって不一致が生ずるときは,基本的には自己責任の問題として処理せざるを得ない場合が多い(例外:消費者保護法等)。しかし,過敏過ぎる者は,基本的に保護されない。一般的に共通の解釈基準に従って裁判所の判断は形成される。そうでない国もあるようだが,文明レベルとしては,かなり低い国と評価せざるを得ない。

そういうものだということが昔から十分に理解されていることから,弁護士や企業法務部の仕事の中でも契約書作成業務が極めて重要だということになる。どのような文書(書面)が存在しているかによってすべて決まってしまうのが普通だからだ。

相手のレベルが低ければ低いほど,あとでごちゃごちゃ言われないようにがんじがらめにしておくというのが標準的な合意文書形成作法というものではないかと思う。

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