アルタイ共和国にあるパジリク古墳群で発掘された古代のフェルトには巴紋がある
アルタイの女性ミイラについて書いた。被葬者のDNAは,イラン~コーカサスの系統の人であることを示しているらしい。
ロシア:アルタイ共和国で発掘された2500年前の女性のミイラが示す古代人の入墨
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/2500-e229.html
このミイラが発掘された場所は,パジリク古墳群(Pazyryk)と呼ばれている。
この古墳群のことについて,Wikipediaでは怪しいので,書籍を探したところ,一般向けの書籍としては,林俊雄『スキタイと匈奴-遊牧の文明』(講談社,2007)があった。そのカラー口絵の中にパジリク古墳群から発掘されたフェルト布の写真があった。図柄をみていたら巴紋があることに気づいたので,ネット上で鮮明な写真はないかと探してみたら,あった。
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このフォーラムのMartin Andersen氏の書きこみ(July 28th, 2014, 01:49 PM)にそのフェルト布の写真が貼り付けてある。まさしく巴紋だ。ケルトとスキタイと匈奴は,最も広い意味ではほぼ同視してもよいのではないかと思われる。
木村正俊『ケルト人の歴史と文化』
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中国の「大極」のルーツは,ほぼ間違いなくケルト(スキタイ)を通じて西方からやってきたものだろうと思う。
大麻草を用いる文化も同様に推定することができる。
中国:ゴビ砂漠の2700年前の墳墓から発掘された大麻草のDNA解析結果
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/2700dna-ef6b.html
中国:タリム盆地で発掘された赤茶髪女性ミイラのDNAは欧州系とアジア系の混血?
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/dna-8a08.html
占星術(天文学)も同じだろうと思う。ある民族がまとまって移動する場合,日中は暑いので,夜間に移動したと推定される。また,夜間であれば星を頼りに方位を知ることができる。その大前提として,基本的な天文学の知識が存在しなければならない。おそらく,シュメール時代には天文学が確立されており,それがエジプトに伝播して発展したものがより北方の民族にも伝播したものと推定される。更には東方へと文化が伝播し,中国にも日本にも定着した。風水師や陰陽師というものの本質は,そのようなものだろうと考えられる。日本の古墳の天井にある天文図はその名残だろうと思う。
キトラ古墳の天井に描かれた星座図は紀元前65年の長安の空を示すもの?
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-4366.html
馮時『出土古代天文学文献研究』
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-f1fe.html
これらの文化は,最終的には倭國にまで到達したと考えられる。現時点では,日本国内にしか残存していないものが多いという可能性が高い。
リトルトン,マルカー(辺見葉子・吉田瑞穂訳)『アーサー王伝説の起源―スキタイからキャメロットへ』
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-3f1c.html
林俊雄『ユーラシアの石人』
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-0811.html
中国では,主に道教へと変化して現在まで残されているのだと思う。天武天皇の名が道教そのものだということは既に広く知られているが,その頃に日本国においても道教が国家的支援の下で広まったものだろうと思う。
谷中信一『『老子』經典化過程の研究』
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-b973.html
遼寧省文物考古研究所編『凌源小喇嘛溝遼墓』
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-1958.html
烏力吉『遼代墓葬芸術中的捺鉢文化研究』
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-92d0.html
林博通『大津京跡の研究』
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-87d3.html
仮説
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-2207.html
時代的には,イエス・キリストが産まれたとされる年代(紀元ゼロ年)よりもずっと前の時代のことだ。テオドシウス帝等によりローマ帝国においてキリスト教が認められたのは西暦300年~400年ころのことで,その時点では中国~東アジアへの影響は全くなかったと推定して良い。つまり,東アジアの紀元前の歴史は,キリスト教とは全く無関係のものとして考察しなければならない。その時代の古代における精神世界を推定する場合に主に考慮に入れられるべきものは,ゾロアスター教とヒンヅー教(バラモン教)だと考える。イスラム教が興隆するのは更に後の時代のことで,教祖ムハンマドがイスラム国家を樹立した西暦600年頃以降のこととなる。
この関連で,森雅子『西王母の原像-比較神話学試論』(慶應義塾大学出版会,2005)を読んだ。素晴らしい研究業績だと思う。極めて納得度が高い。
これらをあれこれ考えてみると,全部つながっているように思う。最も古い時代の中国文明の精神的要素の大部分はメソポタミア~アナトリア~コーカサスあたりを発祥の地と推定するのが正しいのだろうと思う。
ただし,ここから先は,単純な比較神話学とは異なる発想となる。
神話であっても,地域によって変異があるのは,同一のルーツをもつ説話を当該地域の支配者の祖の正当性根拠として転用したからだろうと推定される。すると,説明要素または修飾要素としての説話部分は借物かもしれないが,若干なりとも史実の部分を含んでいるかもしれないということだ。少なくとも,そのような説話が存在し,人々がそれを信じているという事実によって支配権を維持することのできた人々が存在していたという事実は否定しようがない(流浪の民であっても,人々がそのような説話を史実だと信じることがあったればこそ,その民の指導者は権威を維持し,人々を統率することができたはずだ。)。
これらを丁寧に峻別する作業がこれからの学問の本流でなければならない。
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