劉義慶(井波律子訳注) 『世説新語』
『世説新語』には幾つかの和訳があるが,下記のものを読んだ。結構時間がかかった。
劉義慶(井波律子訳注)
東洋文庫843 世説新語1
平凡社 (2013/11/8)
ISBN-13: 978-4582808438
劉義慶(井波律子訳注)
東洋文庫845 世説新語2
平凡社 (2014/1/10)
ISBN-13: 978-4582808452
劉義慶(井波律子訳注)
東洋文庫847 世説新語3
平凡社 (2014/3/20)
ISBN-13: 978-4582808476
劉義慶(井波律子訳注)
東洋文庫849 世説新語4
平凡社 (2014/5/9)
ISBN-13: 978-4582808490
劉義慶(井波律子訳注)
東洋文庫851 世説新語5
平凡社 (2014/7/10)
ISBN-13: 978-4582808513
原文はそんなに長くない。しかし,それだけに豊富な教養がないと「いったいどこが面白いのか?」を感ずることさえできない場合が多い。
この東洋文庫の版の和訳では,解説が非常によくできていて楽しく読ませるようになっている。素晴らしい解説だと思う。
ところどころに登場人物の家系図があり,非常に有用だと思う。また,5冊目の巻末には年表と人名索引があり,これだけでもかなり役立つと思う。
さて,魏晋南北朝あたりの中国の歴史と古代日本の歴史とでシンクロしている部分があるのではないかとの仮説をたて,関係ありそうな書物をかたっぱしから読んできた。まだまだいくらでもある。道は長い。
大学の正月休みも終わりとなるので,読書三昧の日々はいったん終わりとし,本来の仕事のほうに精を出すことにする。
(余談)
国家システムとしての法制度を調査・研究することは可能だ。その実際について法社会学的な検討を加えることも可能だ。そして,法思想について,法哲学的に思索することも可能だ。
しかし,現実(歴史上実際に起きた出来事)はどうだったのかと問われると,なかなか難しい。
『世説新語』を読む限り,官僚の世界は別として,為政者には「正義感」のようなものが全くなかったのではないかと思う。その意味では「法の支配」はなかった。それゆえ,そのような意味での古代中国の「法」を研究することは無意味なことだと思う。
「為政者において現実に存在していたのは,欲望と暴力だけだった」という説明でもって,ほぼ全てを説明することができるだろう。
(余談2)
曹氏と王氏の鮮卑姓は,「阿」だったのではないかというような気がする。
歴史のある時点で,系統が分かれ,「曹」,「司馬」,「王」との漢姓を用いるようになったのではなかろうか。
そして,「曹」は,実際には氏または姓というよりも官職名のようなもので,また,「司馬」は,漢代の官職名に由来するものではなく「鮮卑」そのものの本来の音からきているのではないかと想像される。「王」は,戦国時代の王氏とは関係がなく,「阿」の音に由来するとも考えられる。
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