深谷淳『尾張の大型古墳群 国史跡 志段味古墳群の実像』
Amazonに注文していた下記の書籍が届いたので,早速読んだ。
深谷淳
尾張の大型古墳群 国史跡 志段味古墳群の実像
名古屋市教育委員会文化財保護室・六一書房(2015/3/15)
ISBN-13: 978-4864450638
https://www.book61.co.jp/book.php/N52138
この遺跡は,ヤマトタケル伝説でも有名な白鳥古墳を含む多数の古墳からなる志段味古墳群について,写真と図版を効果的に用い,非常にわかりやすく解説したものだ。
志段味古墳群には是非とも行ってみたいと思っているのだが,なかなか自由な時間をとることができず,残念ながら現在に至るまで実物を見ないままでいる。
せめて写真だけでもと思ってこの書籍を購入した。
ネット上でも様々な写真や解説を入手することができる。しかし,さすが専門家が体系的にきちんと整理して解説したものはどこか違うというような感じがする。
古墳の見取図に関しては,特に被葬者の埋葬位置に注意して丹念に読んでみた。極めて興味深い。
倭国のもとの支配勢力の中心地の1つがこの地域にあったことは疑いようがない。その後,中国大陸から別の勢力がやってきて別の様式の墳墓を構築したのだろうという仮説をもっているのだが,ますますもって確信を深めることができた。
出土品である銅製品(鈴鏡)についても着目し,ずっと検討してきた。韓国の学者は基本的に賛成しないだろうと思うが,朝鮮半島南部から出土する同種の銅製品は,倭國が朝鮮半島において大きな精力を確保していた時代に倭國からもたらされたものだろうと思う。
また,同様のものは現在の群馬県等の遺跡からも発掘されているので,ある時期においては,東国の太平洋側全体が緩やかな意味で同一の勢力圏の範囲内にあったと推定することは可能ではないかと思う。まさに「東(=日本)の國」と言える。ただ,関東平野の勢力は,榛名山の大噴火により噴出した火砕流により壊滅したのだろうと思う。群馬県の巨大な扇状地を上空からながめてみると,河川の作用で長い時間をかけてつくられた部分があることは否定しないが,骨格部分は火砕流によって一挙につくられた可能性のほうを肯定したい。同様の例は,富士山周辺にもみられる。今後,金属探知機等を用いて丹念に調べれば,火砕流や火山灰の地層の下から重要な遺跡が発見される可能性が十分にあると予測している。
被葬者については確定すべき文献資料が乏しいと言わざるを得ないのだが,私は,『先代旧事本紀』に書いてあると考えている。
ただ,強いて難を言うとすれば,弥生時代における海岸線の推定位置が少し甘いのではないかと思う。後代の土砂の堆積によって現在のレベルが高くなっておりかなり曖昧になってしまっている部分があるけれども,2000年~3000年分の堆積推定量を全て除去すると,レベルはもっと下がる。その結果,当時の海岸線はもっと北にあったと推定すべきだろうと考える。熱田神宮のあたりは細長い半島状に海に突き出ていたと推定される。ここがまさに軍事的な要衝なのであり,龍の頭にも該当し,その本体は後背地である志段味古墳群所在地あたりにあったと推定すべきだろう。東谷山を守護神の座所とし,その前面に王都が広がっていたと考えることもできる。
有用な情報がいっぱいつまった良書と言える。
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