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2015年12月25日 (金曜日)

栗田茂敏『黄泉の国の光景 葉佐池古墳』

下記の書籍を読んだ。

 栗田茂敏
 黄泉の国の光景 葉佐池古墳
 新泉社 (2015/10/15)
 ISBN-13: 978-4787715333

未盗掘の墳墓として発掘された貴重な遺跡を紹介している。この遺跡は,公園として整備され公開されている。

 葉佐池古墳公園
 https://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisetsu/bunka/hazaikekofunkoen.html

墳丘の構造もさることながら,墓室,埋葬様式,副葬品のどれをとっても興味深いものばかりだ。直観的には,中国大陸から渡来したばかりの人々の墳墓のように見える。副葬品は,古代中国のある時代のもののように見える。

そういう人々が当時の郡または國の長をしていたと仮定すると,いろいろと面白いことを推論することができる。

被葬者は6世紀~7世紀の頃の人物と推定されている。2号墳では,墓室内が意図的に破壊されて攪乱が発生した状態のままになっていた。本書の著者は,死者のよみがえりを阻止するための祭祀の一種と推定している。しかし,政治情勢と権力構造の極端な変化に伴い,当該地域の首長墓に対する「辱め」のようなことが行われたという推定(仮説の提示)や被葬者が誰なのかわからなくしてしまうための意図的な破壊行為という推定(仮説の提示)も可能なのではないかと思う。

第二次世界大戦の直後においても,進駐軍(GHQ)による摘発・逮捕を免れるため,全国各地において武具・武器等の隠匿や破壊がなされた。

ずっと平和でのんびりとした状態で地域社会が継続していたという前提のみでものごとを考えると基本的な部分で誤る危険性がある。なにしろ,倭國が白村江の戦で唐に負けたころの出来事だ。唐の軍隊は,瀬戸内海を通って大津京~近江に至ったと推定されるのだが,この古墳はその通過点に位置している。

万葉集に残されている歌の幾つかは,全く逆の意味内容を示すものとして解釈しても合理的に意味が通るので,根本的な再検討を要するのではないかと考えている。

  熟田津と伊予温泉
  http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage-n.htm

熟田津の所在地については不明とされるが,現在の松山市古三津のあたりのような気がする。

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