氣賀澤保規編『遣隋使がみた風景-東アジアからの新視点』
以前,図書館から借りて通読した下記の書籍を購入し,必要な箇所を特に丁寧に読み直してみた。
氣賀澤保規編
遣隋使がみた風景-東アジアからの新視点
八木書店 (2012/2/10)
ISBN-13: 978-4840620352
多数の共著者による共著の書籍なので論調に差異があるように見える部分もあり,また,納得できる部分とそうでない部分とがある。
その前提で,本書において,『隋書』には比較的詳しく倭國のことが書かれているのに唐代以降の正史ではそうではないのはなぜなのかという問いに関する論述の部分には何度も目をとめてしまう。
様々なことを考えることができる。
最大のポイントは,隋と唐の支配階級がいずれも鮮卑族と推定されるものの,皇帝やそのとりまきとしての有力な部族に交代があったと推定されることから,そのような要素を考える必要があるのではないかと思いつつある。なぜなら,日本国内(倭國内)にも同族の鮮卑族豪族が当然多数存在していたはずで,そういう「血のつながり」という要素が極めて大きく作用することがあり得るからだ。
「漢族」が中華を支配し続け,純粋な「日本人」が日本国を支配し続けてきたと単純に考える馬鹿はいないだろうと思うが,それにしても,五胡十六国~隋・唐の時代の民族の移動と交流はこれまで考えられてきたよりもはるかに活発で複雑なものだったのではないかと思う。
他方,『日本書紀』には「隋」との名が伏せられ「唐」として記載されていることは大きな謎の一つとされてきた。私は,現在の『日本書紀』がオリジナルのものだとは考えないが(後代に大幅に書き換えられたと推定する見解も多数ある。),それにしても奇妙だ。私は,対唐戦に敗北した結果がもたらしたものではないかと思う。つまり,白村江の戦いは,百済支援のための外征としてのみ理解されているが,隋の遺臣が倭國軍に多数参加する極めて複雑な様相を呈するもので,その戦闘に敗北した以上,まずいことは全部消去してしまう必要があったのではないかと想像をめぐらせたりしている。ここでもまた,当時の日本の支配階級が純粋な「日本人」のみによって構成されていたという幼児的な考えを捨てることが大事だと思う。無論,あまりにも単純な百済説も論外だと思う。
そういうことなどもいろいろと考えながらこの書籍を読んだ。
本書の巻頭にはカラー図版が多数収録されているけれども,その中には隋の時代だけのものというよりは魏晋南北朝の複数の国家に見られるものが含まれており,また,人物像の顔の特徴が胡人(トルコ人,ペルシア人,ギリシア人など)ではないかと思われるようなものが含まれていることに留意すべきだと思う。少なくとも,普通素朴に考えられているような「漢人」ではない。
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