阿倍美香「翻刻 隠岐高田神社所蔵『高田大明神縁起』(丹表紙本)」
下記の資料を読んだ。
阿倍美香
翻刻 隠岐高田神社所蔵『高田大明神縁起』(丹表紙本)
學苑889号88~113頁
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009863985
神社の縁起を記録した文書ということで,中世思想を理解するための貴重な資料の1つと考えられているようだ。
私が注目したのは天孫降臨前後の事柄に関する記述で,伊弉諾尊(陽神)と伊弉冉尊(陰神)が稲負鳥の教えにより夫婦となり,日神、月神、蛭、素盞烏を産んだ,その後,磐烈根烈の御子である武詼命が出雲国に来て西国を征服し,また,常州鹿島に下向して東国を征服した云々との記述がある。
ここで注目したいのは,武詼命(『日本書紀』では「武甕槌」)が征服したとされる地の中に畿内と美濃~東海が全く含まれていないことだ。それほど古くない時代の出来事を超古代のこととして史書の中に挿入したと解する余地があるかもしれない。このように解する場合,中央政権の意向に従わず恭順しなかった有力豪族が出雲と常陸には存在していたということになりそうだ(つまり,武詼命は,大和から派遣された将軍ということになり,ヤマトタケルの伝承と重なる部分がある。)。出雲と常陸には比較的長い風土記が残されていることには大きな意味があるのかもしれない。
なお,「武詼」は「ムケ(ムカイ)」または「ブケ(ブカイ)」としか読めないのだが,「タケミカヅチ」と読ませるらしい。無理にそう読ませているだけで,本来の読みは異なるのではないかと思う。「詼」は「戯れる」という意味を有する。戯れに出雲と常陸を成敗したとは考えにくいので,様々な解釈が考えられるのだが・・・単に「タケル」と読み,武人という意味しないないと解するのが正しいのかもしれない。「タキ」または「タケ」の音は「多紀臣」との関連を疑わせる。
「磐烈根烈」は,「大きな古墳の石室を破壊し,扶桑樹を根こそぎ倒した者」という意味にもとり得るのだが,たぶん,巨岩を砕き巨木をもなぎ倒すような強力な将軍というような意味を有するものではないかと思う。
また,伊弉諾尊(陽神)と伊弉冉尊(陰神)の結婚と出産のあたりも興味深い。『古事記』では2神の話し合いにより結婚したことになっている。しかし,ここでは「稲負鳥」の教えにより結婚したことになっている。後代の挿入かもしれないが,最初からそうだったのかもしれない。最初からそうだったと仮定した場合でも,「稲負鳥」の意味は不明だ。和歌の世界では,一般にはセキレイのことを指すと理解されている。しかし,鳥類の観察経験豊富な人であれば,セキレイの行動を見ても夫婦の交わりの方法を習得することはできないことを素直に理解することができるだろう。少なくとも,『古事記』にあるような婚姻の儀式とは全く無関係だと言える。むしろ,ここでは民俗学的なアプローチのほうが有用だと思われる。『古事記』にある婚姻儀礼は現在でも中国南部の少数民族等に類似のものが残されている。「稲負鳥」とは中国南部等から渡来して稲作を伝えた民族またはその子孫であって稲作のための神事を執り行う人々(神官・巫女等)のことを指すと解するほうが素直ではないだろうか。ただ,神話としては,2神の前に人が存在していてはつじつまが合わなくなってしまうことから「鳥」としたものではないかと思う。無論,「鳥」は中国南部の少数民族においても重要なシンボルであり,日本では神社の「鳥居」として現在まで残されている。
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