陳建明主編『馬王堆漢墓研究』
下記の書籍を読んだ。特に「太一将行圖」の部分を丁寧に読んだ。
陳建明主編
馬王堆漢墓研究
岳麓書社(2013/10)
ISBN 9787553801643
非常に興味深い。「太一将行圖」の中には「社」の字が残されており,日本の神社と何らかの関係があるかもしれない。
巻末にカラー図が収録されている。そこに描かれている「太一神」とその従神の姿は,日本で考えられている神というよりは鬼に近い。古代の蜀の地にある三星堆遺跡出土の像(特に2号祭祀坑出土の銅製座像)の造形と類似・共通するところがあるように思う。
日本語でも「鬼神」という表現があるので,古代の「ある時期」以前においては鬼のような形相をした神を崇拝していた可能性があるのではないかと思う。その「ある時期」以降には,古い神(上・守)は新しい神(上・守)によって退けられてしまったのだろう。
『魏志倭人伝』には,卑弥呼が「鬼道」を行ったという趣旨のことが書いてある。現代風に言えば般若の面をつけて祭祀を挙行していたと想像すると,三星堆の神と類似したことをしていたことになるかもしれない。中国の三国時代・魏の時代と古代の蜀の時代との間にはかなりの隔たりがあるものの,例えば,壱岐の「原の辻遺跡」出土の青銅器等が中国の戦国時代の様式のものだと推定されていることや,魏の文化が基本的には西方または北方の文化であるのに対し,蜀や倭の文化が南方の文化であることを考慮に入れると,特段奇妙なことではないのではないかと思う。ただし,一般には,「鬼道」とは道教の祭祀のようなものではないかと想像されている。いずれの見解にしても想像だけしかなく,確たる証拠が存在しないところがかなり厳しい。
他方,この鬼のような角を生やした神は,祇園神ないし牛頭大王との関連も疑わせるに十分だ。ケンペルが残した祇園神の図や「北周史君墓」の羊頭神の彫像などを考えてみると,非常に興味深い。
この「太一将行圖」の解釈はとても難しい。しかし,『楚辞』の解釈を丁寧に行おうとすると,どうしても気になる図の1つだ。石川三佐男氏は,1号墓出土のT字型の絹衣の図案を重視して『楚辞新研究』をまとめている。私は,その絹衣と併せて「太一将行圖」の検討を重ねてみようと思う。
日本国においては,「太一」の信仰は,伊勢神宮と極めて深い関係にあり,日本の古代史を理解する上でも必須の部分だと思っている。
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