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2015年12月 1日 (火曜日)

倭語

古代史を研究していて気づいたことがある。

それは,「これまでの研究においては倭語が単一だという暗黙の前提があったのではないか?」ということだ。

無論,北方系や南方系の言語が存在したことは推定されているが,それらは,例えば,蝦夷や隼人の言語として少数言語のようにとらえられてきたと考えられる。

しかし,根本的な誤りがあると考える(蝦夷や隼人などが少数民族だったとも思わない。)。

倭国には50余國があったとされているから,最大で50種類の言語が存在した可能性があると考えるほうが合理的だ。実際にはそんなに多くはなく共通しているとしても,津軽弁と薩摩弁と京都弁くらいの差異は当然に存在しただろうと思う。

日本の古代の文献は全て漢文または擬似漢文で書かれている。

万葉集の中にはほぼ完全な漢文として理解したほうが合理的なものもあれば,表音文字としての万葉仮名として理解したほうが合理的なものもある。

一般的には,まず日本語が存在し,文字がなかったので漢文を習得し,次第に漢字を表音文字として用いるようになったとされている。

しかし,公用文書はほぼ全て相当後代に至るまで漢文なのだ。

私は,古代の中国語(漢語)を公用語=共通語として使っていたと考える。

だからこそ,倭國からの使者は,中国の皇帝と謁見することも可能だったのだろう。

その後,明治維新における標準語の形成の場合と同じように,人工言語としての共通倭語が開発され,その過程における実験の一種として様々な和語的文書(万葉仮名的文書)が作成されることになったのだろう。つまり,公用の大和言葉は人工言語だと考える。

過去のことなので,タイムマシンでもない限り,本当のことは誰にもわからない。無論,私にもわからない。

しかし,より合理的な説明を構築するための努力が尽くされなければならないと考える。

既成概念をいったん全部リセットして考えてみることは,かなり有用な手段の一つではないかと思う。

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