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2015年12月16日 (水曜日)

林博通『大津京跡の研究』

下記の書籍を読んだ。

 林博通
 大津京跡の研究
 思文閣(2011/3/20)
 ISBN: 9784784210732
 http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=4784210733

この書籍の3分の2くらいは,これまでの研究史を丹念に調べ整理したもので,引用文献等を含め,有用性が非常に高いと思った。

最後のほうのところにオンドル遺構についてまとまった記述と考察がある。

オンドルは中国東北部(旧満州)などに見られる暖房施設なのだが,大津京周辺に遺構が存在することは大いに注目すべきだろうと思う。

『扶桑略記』の天智天皇7年(668年)には「大唐人郭務悰等 三千餘人來朝 令居近江國蒲生郡」とあるので,第二次世界大戦後の進駐軍(GHQ)による統治のような時代がしばらく続いた可能性があり,大津宮はそのための官衙だったかもしれない。それゆえ,倭國の本来の官衙のことを「倭京」と称して区別したと推定することもできる。

更に,各地に残る「朝鮮式山城」なるものは,対唐防衛のための施設ではなく,唐軍のための要塞施設だったと考えることは可能と思われる。近畿地方にある古い寺社の中で同様の石組み基壇をもつものも当時においては石組の山城(要塞)の一種だったかもしれないと考える。

大津宮は「淡海宮」とも記され,「淡海三船」との関連が疑われるのだが,仮に「淡海宮」が駐屯軍のための施設であるとすれば,淡海三船は,「唐から派遣された将軍の3代後の子孫」といった意味を有すると解することもできる。

オンドルは,進駐軍を構成する中国東北部の部族に属する将兵が起居するための家屋に付随する設備と考えるのが妥当だろう。

『扶桑略記』に「近江國蒲生郡」とあるのは,大津宮が廃止された後に移動した駐屯地を示すものかもしれない。大津宮付近で将兵が主に居住した地域は,「唐津」付近ではないかと思う。そもそも「唐津」と「大津」とが同義である可能性も否定できない。「大津」の古名は「古津」とされているのだが,「古津」と「唐津」とは近似している。

「近江國蒲生郡」は,現在の龍王町付近を指し,その周辺の古墳等から出土する遺物は倭風ではなく唐風ではないかと思うことが多い。「龍王」とは,読んで字の如く,「唐から派遣された将軍」を意味するものと解するのが妥当だろう。その子孫が「清華家」の祖となった可能性がある。

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