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2015年12月11日 (金曜日)

秦始皇帝兵馬俑の力士像

東京国立博物館で兵馬俑展が開催中だ。

 特別展「始皇帝と大兵馬俑」
 東京国立博物館
 2015年10月27日~2016年2月21日
 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1732

兵馬俑の多くは甲冑を身に着けたものなのだが,中には力士のような褌だけの大男の像(俑)もある。

甲冑を身に着けた兵士の列の中に褌だけの力士が混じるというプランそれ自体がいろいろと想像力を掻きたてるもので興味深いのだが,同じようなプランに基づく俑(埴輪)の列が日本の古墳でも発見されていることには更に好奇心を刺激される。

無論,秦始皇帝兵馬俑と比較すると全く問題にならないくらい規模が小さい。しかし,大事な視点は,基本的なプランを認識することにあると思われる。

秦始皇帝兵馬俑と同じような基本的プランをもつ遺物が出土した日本国内の代表的な遺跡としては,今城古墳(大阪府高槻市)の埴輪(俑)の群像がある。そして,それを一回り小さくしたような埴輪(俑)の群像としては八幡塚古墳(群馬県高崎市)がある。

基本的な部分において同じ系統に属する文化・社会組織の観念に基づくものと考えるのが妥当だろう。

着目すべきポイントは,力士像(俑)にあると考える。

そして,力士像は,例えば,金剛力士像として仏寺を守護するように配置されて現存しているものがあるということには特に注目すべきだろうと思う。

中国で発掘された「北周史君墓」の石刻像にも大きな力士像があるが,これは古代インドの様式を濃厚に残しているもので,おそらく,それがルーツのようなになっているのではないかと思われる。ソグド人の活動範囲を推測することができると同時に,中国の五胡十六国時代当時の精神文化が拝火教・バラモン教・仏教・景教・神仙等の混合したものだった可能性が示唆される。

「北周史君墓」の被葬者がソグド語を用いるソグド人であり,バクトリア方面から移動してきた人々の一員だということは同所で発掘されたソグド文・漢文対訳の墓誌から明らかにされている(バクトリアのキシュ出身の石族に属する妻を追葬)。

この墓誌は,エジプトのロゼッタ石と同様に非常に高い考古学的価値を有するものだと思う。

***

秦軍の将校と思われる武人の甲冑が秦始皇帝陵周辺その他の地域で出土している。

基本的な構造や設計思想において,日本の古墳において埴輪として出土する武人像の兜や冑との共通点が多いように思われる。

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