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2015年12月 5日 (土曜日)

似非法解釈学

法解釈学の方法論には多種多様なものがあり得る。

それらの中には,法解釈学ではないのに法解釈学だと錯覚されているものもある。

例えば,ある学説の研究に過ぎないのに法解釈学だとして扱われているものがある。

学説は,法解釈学における見解の一つに過ぎない。

法解釈をする場合において,多種多様な学説を検討することを要する場合があるが,必ずしも必須というわけではない。過去に存在した見解(学説)を一切参照しなくても法解釈をすることができる場合があるしそうしなければならない場合もあるからだ。

そして,ある特定の学説のみに基づく学問を法解釈学と呼ぶことには大きな弊害がある。それは,他の見解を認めないことになるからだ。見解は見解に過ぎないので,絶対的なものではない。それゆえ,裁判官は,学説とは関係なしに自己の責任で法解釈を行うし,そうしなければならない。

また,ある学説についていくら研究したところで,その学説の系の範囲内における応用・組み合わせによる複雑化は発生し得ても学問におけるブレークスルーは絶対に生じない。

必要なことは,法情報としての法規範それ自体及び当該法情報が適用可能な対象それ自体を直接に考察することなので,ある特定の学説(世界観)のみにしがみついて世界を見渡すことではない。

このような初等論理学に属する問題を理解しようとせず,かつ,妙な権威欲に支配されている限り,明るい未来は全くない。

とりわけ,規範の適用対象である事実について無知であることは致命的な欠陥となり得るもので,見解(学説)それ自体が荒唐無稽・砂上楼閣となる最も大きな原因を形成することになる。

見解(学説)とは,誰かが過去に思考した内容を符号化したものの一つに過ぎない。

参照すべき場合はあるが,拘束されなければならない理由は全くない。思想信条の自由に反する。

思考は,自分の頭脳を用いてなされるべきものだ。

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