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2015年12月31日 (木曜日)

かながわ考古学財団編『海浜型前方後円墳の時代』

下記の書籍を読んだ。

 かながわ考古学財団編
 海浜型前方後円墳の時代
 同成社(2015/3/31)
 ISBN-13: 978-4886216922
 http://homepage3.nifty.com/douseisha/kouko/kohunn/kohunn.html#kaihinn

わかりやすく解説されており,納得度が高い。『常陸國風土記』にある地名をマッピングした当時の地形図には感激を覚える。

これまで多数の考古学関連書籍・論文を読んできた。中には「古墳の下には水田が広がり・・・」云々と書かれているものの,当時の地形から考えると海でなかったはずがなく,「いったいこの著者は何を考えているのだ?」と憤りを感じたことも多々ある。

現代の地形と古代の地形とは異なる。一般的には,海水面は現在よりも相当高く,現在の平野部(低地)の大半は海または河川の底だったと推定して間違いない。そのような前提で,当時の豪族等の支配可能な範囲を推定し,また,当時の最も優れた交通・運搬手段だったと推定される船の航路を推定しなければならない。そして,軍船の船団が風雨を避け,軍団を陸揚げして駐屯するのに適した地域を見つけ出さなければならない。

そういう前提で,当時は海を見渡すことのできる場所にあり,遠くからやってくる船団を見張るための施設としても大型古墳が存在していたのではないかというのが私の仮説だ。加えて,古墳と古墳との間で鏡やかがり火などを用いた光通信がなされていたのではないかとの仮説をたて,趣味の会の雑誌等に論説を書いてきた。

本書を読んでみて,私の仮説の大部分が間違っていなかったことに安堵の気持ちを覚える。仮説は仮説に過ぎないからだ。

本書が成立するまでには地道な基礎作業の積み重ねが必須なので,多大なる労苦の末に結晶した書籍なのだと思う。敬意を表する。

今後は,火山活動に伴う火砕流や土石流による広域の全滅(=主要な居住者の総入れ替え)という事実をも加味し,非単調な古代史の構築のための努力を続ける必要がある。

何となく古代から現在までそのまま進化・・・のような甘い考えをもってはならない。

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