仮説
『古事記』と『日本書紀』については,偽書説もあったが,現在では否定されている。
しかし,それらがオリジナルの文章のままかどうかという点に関しては確証が何もない。中には,桓武天皇の時代に大幅な改竄がなされているのではないかとの見解もある。
『國史大系』に収録されている「日本書紀私記」などを読むと,オリジナルの姿を推測することが可能だが,これまた写本の際に改竄された可能性は否定し切れないので,何とも言えない部分がある。
そこで,中国の正史に目を転じてみる。
唐朝以降の正史を読むと,当時,日本国から何らかの書物が届けられていたらしく,唐朝以降の正史には『古事記』や『日本書紀』と符合する記述がある。全くの空想では書くことのできないものなので,当時,中国内において,日本国の歴史を記述した何らかの資料が存在したことだけは100%確実と言える。
しかし,完全に一致しているわけではない。
例えば,神宮皇后は神宮天皇とされ,天武天皇は天智天皇の子とされ,持統天皇は持総天皇と記述されている。日本の学者は,ほぼ全員これらを誤記として解釈してきたのだが,その根拠とするところは,「『日本書紀』が正しい」ということに尽きる。しかし,底本がオリジナルのものであるという点について確証が存在しない以上,実は全く論拠になっていない。
すると,仮説としては,中国の正史が正しいとする確率が50%,『日本書紀』が正しいとする確率が50%で,要するに,どちらとも言えないという結果になる。
ところで,従来の日本国における研究のほぼ全ては,『日本書紀』の記述が正しいという前提でなされてきた。
反対に中国の正史の記述のほうが正しいと仮定して研究してみたらどういうことになるのか,思考訓練としてやってみるだけの価値はあるのではないだろうか?
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一般に,歴史学における学説には仮説しか存在し得ない。
タイムマシンが存在しない以上,限られた資料(史料)に基づく推論しか成立し得ないからだ。
通説なるものは,そうした仮説の中で最も有力だと評価されている「1つの仮説」に過ぎない。したがって,「通説である」ということは「真実である」ということと同義ではない。
ガリレオの例をひくまでもなく,世界中でたった1人の言説だけが正しく,それ以外の者の言説が全部間違いまたは嘘ということだってあるのだ。
[追記:2016年1月2日]
「壬申の乱」については,これまでのところ,その存在を実証する物的証拠(考古学上の資料・史料)が何ひとつ発見されていない。関連すると推測可能なものはある。しかし,それは,『日本書紀』の記述が正しいということを前提にしないと成立しないものだ。
そこで,思考訓練として,「壬申の乱」が史実ではなく存在しなかったという前提で(特に『日本書紀』巻28は,特異な存在として,史実を正確に記述したものとしては受け止めないという姿勢で)仮説を構築してみるとどういうことになるかを考えてみることは有用なことだと思う。
私見としては,『日本書紀』等にある壬申の乱の顛末に関する記述の中で,氏素性の全く分からない登場人物に着目すべきではないかと考えている。そのような登場人物に限って,奇妙な名前をしていたり,そもそも読み方がわからなかったりすることが多い。そのような不思議な登場人物こそが正に真に存在した人物であり,それ以外は全部捏造という仮説をたててもちゃんと立論できるだろうと思う。
ちなみに,『古事記』や『日本書紀』にある古い時代に関する記述について,壬申の乱の史実をもとにして捏造したものだとの見解がある。読んでみると,なるほどと思うところが少なくない。妙に符合しているからだ。
しかし,逆もまた真ではなかろうか?
古い時代の伝承が存在しており,それを元にして壬申の乱に関する記述を捏造しても,やはり同じ結果となるからだ。
ちなみに,徳川家康が忍者の助けを得て伊賀越えで逃げ帰ったという伝承も同じようなものではないかと考えることがある。
[追記:2016年1月3日]
白村江の戦の当時,唐には則天武后がいた。
白村江の戦の戦後処理の時代は天武天皇の時代に相当する。
「天武」は淡海三船による漢風諡号とされるが,「天武」と「則天武」とはやけに似過ぎている。
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