遼寧省文物考古研究所編『凌源小喇嘛溝遼墓』
下記の書籍(解説付図録)を読んだ。
遼寧省文物考古研究所編
凌源小喇嘛溝遼墓
文物出版社(2015/10)
ISBN: 9787501042876
第1号墓からは立派な彫刻のある石璧板が出土している。
解説によると,被葬者は契丹系の貴族階級に属する者と推定されているようなのだが,石壁板のモチーフを見る限り,どうもシュメールまたはアッカドの文化が変形しながら残存しているような感じに見える。
山田康弘『つくられた縄文時代』では,明治時代の学説として,日本人にはアッカド人の血が流れているという説があったということが紹介されているのだが,あながち荒唐無稽とは言い難いのではないかと思う。
更に驚くべきことには,第1号墓の彫刻の中には女性のようにも見える4人の若者が横に並んだ彫刻があるのだが,その髪型は、100%確実に「角髪(みずら)」だ。
「角髪(みずら)」は,日本の神話等に登場し,いわゆる聖徳太子画像の両脇に立っている2名の者の髪型として知られているものなのだが,この古墳に石彫として残されているところをみると,「角髪(みずら)」は,日本固有のものではなく,かつ,かなり後代になってから日本に導入されて神話の中に盛り込まれたものである可能性が出てくる(ただし,日本の古代の古墳から出土する埴輪の中には「角髪(みずら)」に似たものがあるので,遼の時代には契丹人と呼ばれた古代の鮮卑族の子孫の文化と共通する文化が古い時代に日本に渡来していたと考えるほうが妥当だろう。)。
なお,この遺跡からは,アガメムノン王の黄金マスクのような仮面や,正倉院の魚型佩と同じようなデザインの魚型装飾品も出土しており,非常に興味深い。
極めて重要な遺跡及び出土物だと思う。
(付記)
「遼」は中国東北部に存在した国家で,西暦900年頃~1000年頃に栄えた。
初代は,「耶律阿保機」で,「天皇帝」と称した。
「阿保」は,日本にもある氏(姓)の1つで,「阿倍」,「阿閉」等と同じとされている。
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