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2015年12月26日 (土曜日)

池田善文『長登銅山跡-長門に眠る日本最古の古代銅山』

下記の書籍を読んだ。

 池田善文
 長登銅山跡-長門に眠る日本最古の古代銅山
 同成社(2015/7/31)
 ISBN-13: 978-4886217011
 http://homepage3.nifty.com/douseisha/kouko/iseki/iseki.html#i49

結構面倒くさいことを図を効果的に用いて非常に平易に論述してあり,鉱山・冶金等に関して全く知識のない人でも容易に読める良書だと思う。

本書で述べられている長登銅山等の発掘に関しては,長登銅山文化交流館の展示で知ることができるように整備されているようだ。

 長登銅山文化交流館
 http://www.c-able.ne.jp/~naganobo/index.html

本書の中には,いわゆる「ふるさと創生事業」による1億円の交付金が有効に用いられてこの交流館の成立に至っている経緯も述べられており,興味深かった。他の自治体の中には浪費しただけのところもあるので,雲泥の差があると言える。

この銅山遺跡から大量に発掘された木簡資料等の解読により,この古代の銅山で得られた大量の銅を用いて東大寺の大仏が鋳造されたことが判明したという経緯が丁寧に説明されている。

それ自体としても非常に面白いのだが,私は,それ以上に非常に様々な点について興味をもつことができた。

例えば,光明子宛に送られたことを示す木簡資料の中に施薬院や悲田院等の存在を示すものがあるとの記述はとても興味深い。本書では,大仏造営のための銅の確保を光明子が仕切っていた可能性を示唆している。そうだろうと思う。しかし,それだけではなく,施薬院や悲田院において「本草」の一種として鉱物を基原とする薬方が用いられていた可能性を考えたい。中国の本草書では当たり前のことであるにもかかわらず,従来の日本の本草学ではあまり触れられてこなかったように思う。そもそも施薬院の存在それ自体について否定的な見解が通説だったので無理もないことではあるけれども・・・

ちなみに,光明子という名からは,大日如来を連想し得るけれども,私は,どうしても拝火教のほうを連想してしまう(笑)。

他方で,『日本書紀』の中で別の時代のこととして書かれているいくつかの出来事との関連が気になった。この銅山は,おそらく青銅器時代には知られていただろうと思う。その支配をめぐってかなりひどく血なまぐさい征服劇と大虐殺があったのではなかろうか。例えば,「塵倫」のくだりがそうだ。石見神楽はそれを現代に伝えるものかもしれないと考え,ずっと検討を続けている。石見国一宮・物部神社との関連を含め時間をかけて考え続けたいと思う。

本書の中では,秋吉台付近で発掘されたという統一新羅時代の様式の土器のことなどについても触れられている。これもかなり気になる。

更に,銅と言えば「和同開珍(和同開珎)」として知られる銅銭のことを連想してしまうのだが,これは秩父から良質の銅が出たので鋳造できるようになったというのが通説だ。本当だろうか。やや疑問に思い,これまた検討を続けている。

そもそも「和開同珍(和開同珎)」と読むものかもしれず,あるいは,「珍(珎)」は「金」を示し(「珍」ではなく「寶」と読む場合でも「珍寶」または「寶」=「金」との意味に解することができる。),左右合わせて「銅」を意味するものとして図案化されたものかもしれないと考えることもある。「和開」は,「日本国にも貨幣使用による文明国家としての道が開かれた」という趣旨に理解することが可能だろうと思っている(「珍(珎)」+「同」=「金」+「同」=「銅」が成立可能と仮定した場合,全体として上から下に読み「和銅開」と解することも可能だろう。)。素人の「珍説」だと言って笑われるだろうが,「富本銭」については漢籍に典拠があるのに対して「和同開珍(和開同珎)」についてはそれが存在しないということが非常に気になるのだ。おそらく「和同開珍」との読みは誤りだ。

加えて,銅山で採掘・精錬された銅は,播磨國の秦族によって運搬された可能性があるということが示唆されている。播磨國という場所の本質を考える上で非常に興味深い。播磨國と密接な関係を有する古代の天皇のことも気になる。

更に,木簡資料に名のある古代の氏族について,素人の直観に過ぎないのかもしれないが,従来の通説に基づく理解のみでは説明が難しいと思われるところがあるように感じた。古代の政治的・社会的な組織構造は,現在考えられているものとは少し異なる要素を含むものかもしれない。無論,時代変化による変遷等も十分にあり得るのであまりに単純化して考えることは危険だと思うが,それにしても,かなり気になる点が多数あった。

蛇足だが,実際に発掘作業に従事し,大発見をしたときのことを述べているあたりは,やけにリアルで臨場感に富み,その感激がダイレクトに生き生きと伝わってくる。考古学の道を歩む人々の素直な心情の一端を知ることができたような気がする。

そんなことなどをあれこれ考えながら読み終えた。

本書は,全体として資料価値も高く,発掘された木簡資料の読み方を理解するための導入としても有用であり,良書としてお勧めできると思う。

[追記:2015年12月27日]

島田正郎『契丹国ー遊牧の民キタイの王朝(新装版)』(東方選書,2014)を読んでいたら,117頁に契丹国で流通していた貨幣の図があった。その図を見る限り,貨幣上に鋳造・刻印されている文字は,時計まわりに,上右下左の順に読むべきものだということが明らかだと思われる。「和同開珍(和同開珎)」も契丹風に時計回りに読むべきものだとすれば,やはり「和同開珍(和同開珎)」が正しいということになる。すると,どうして契丹国と日本国(倭国)では同じように時計まわりに読む仕様になったのかが問題とならざるを得ない。

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