論理
児童ポルノや萌えキャラ等については常に議論がある。
論証という点からいろいろ考えることがある。
児童ポルノや萌えキャラが全く存在しない国々やそのようなものには全く興味のない人々でも未成年の女子に対する強姦を繰り返す事例は数えきれないほど多数ある。それは太古の昔からそうだったのに違いない。
人間は動物なので,繁殖可能なオスは繁殖可能なメスに対して性欲をもつ。
それを抑え込まないと社会秩序が維持できないので宗教や法がある。
しかし,宗教や法は観念なのであって,遺伝子によって物理的に統御されるものではない。
したがって,古代から未来永劫,人間が動物である限り,観念である宗教や法と遺伝子からの命令である性欲との間のギャップが埋まることは決してない。
換言すると,未成年の女子である性的対象に対してオスである人間が性欲をもつ行動が消滅することは絶対にあり得ない(そもそも「成年」という社会制度それ自体が観念の一種に過ぎず,動物である個体としての繁殖可能な成熟度とは一致していないので,議論の前提それ自体に無理がある。「成年」という観念にこだわる限り,常に荒唐無稽で砂上楼閣の議論しか生じない。)。
あるべき方策としては,「人間は動物だ」ということ,そして「理性によるコントロールが機能しない個体が多数存在する」ということを徹底して教え込むことだろうと思う。
未成年の女子に対しては,「繁殖可能な程度に成熟すれば常にオスから襲われる危険がある」ということを教える教育を徹底し,防御方法としてスタンガンや催涙ガス等を常時所持して完全武装したり,格闘技に習熟して攻撃相手を物理的に粉砕・破壊できるようにすることなどを奨励するしかないだろう。ただし,この方法は,攻撃側でもより強力な武装をすることが当然予想されるので,そのような武装をしたオスに対しては完全に無効であり,そのような強力な攻撃者に対しては何をやっても無駄なので警察というより強力な武装集団に頼るしかないということもしっかりと教えることが必要だ(ただし,世界の中の幾つかの国のように警察も軍も犯罪者集団に汚染されているところでは,なすすべが全くない。暴力に屈し,隷属する以外に生き延びる方法がない。そのような国々では現実問題としてはもとより,観念としても人権が存在しない。)。
現在でも日々発生し続けているインド等での集団強姦の事例や中南米諸国での幾多の悲惨な事例やイギリスでの数々の猟奇的な事例などを見ていると,以上のように考えるしかないように思う。日本は,これでもかなり治安が維持されている国だということは犯罪統計の正確な国際比較によって直ちに理解することができる(社会構成員の相互監視がきなない都市部での犯罪に関する統計数字の比較がかなり重要である。)。そのことによっても「萌え」との間の因果関係はないということが証明できるのではないかと考えている。
未成年の女子に対する性的欲望と関連する事柄について考える場合には,原則として,「自由で平等で理性的である」という仮説を前提とした立論は全く意味がないと考える。あくまでも,理性や知性といった観点を一切捨象し,人間を「動物」の一種としてとらえ,動物行動学等の知見に基づいて立論すべきだろう。
例外として,そのように動物的な考察を中心として理解しなくてもよい対象群の例としては,性欲の充足よりももっと価値ある欲望の対象(例:金銭欲,名誉欲,知識欲等)をたくさんもっており,その充足のために忙し過ぎて動物的な欲望を充足するために割くことのできる時間余裕が全くない人々など,ある条件を満たす限定的な人々だけということになるのではないかと思う。
この問題を解決するために「人間は理性的な存在である」という建前論を最前面に押し出して考えると,全ての刑事政策が破綻する。正しい刑事政策は,「欲望のかたまり」であることを当然の前提にした上で,それをいかに社会的に統御するかということに尽きる。したがって,正しい刑事政策は常に不完全であらざるを得ず,犯罪の発生を完全に阻止することができない。しかし,それが最も正しい姿だと考えることが最も正しい。完全に根絶しようとする原理主義のような考え方はシナプスの物理構造に何か問題のある脳の持主の考えだと思っている。
「人間は動物である」を大前提とした上で,理性的な方法でコントロール可能な個体については理性的な方法でコントロールし,そうではない個体については別の対処を考えるしかないというのが正しい立論だろうと思う。そして,それらのコントロールは,非常に多種多様であり,一律に考えることができない。要するに単純で簡単な処方箋は,ない(正確には,「人類を絶滅させる」という方法を採用すれば問題が発生することが物理的になくなってしまうようにすることができるのだが,この方策は採れないので,結局,単純で簡単な処方箋は全くないという結論になる。)
これらをぜんぶ一緒にして考えることしかできない者は,やはりシナプスの物理構造に何か問題のある脳の持主の一種だろうと推定している。
ちなみに,「萌え」キャラについては,そもそも興味をもたない男性が圧倒的多数ではないかと思う。私もそうだ。
一般に,可愛い「萌え」的な服装をしても,ただそれだけではオスであるホモサピエンスを誘引する効果など全くないというのが真実で(人間以外の動物に「萌え」的な服装をさせれば,その動物に対して性欲を抱くかどうかということを考えてみれば直ちに理解することができる。ただし,動物性愛欲をもっているような人々については異なる考察を要する。),誘引効果は実は別のメカニズムによって発揮されるものだと考えている(性欲の対象に対する認識・知覚それ自体が実は観察者の側の主観である自己愛の反映による幻想の一種に過ぎないという仮説も成立し得る。換言すると,遺伝子の作用によって脳内に放出される性欲を亢進するホルモン等の化学物質の作用により生成される妄想の一種かもしれない。)。詳しく書くと物議をかもしそうだし特定のグループの人々から攻撃されそうなので一切書けないが,賢く知性のある理性的な男性諸氏であれば,私の言いたいことを素直に推察し,私見に100%同意してもらえることだろうと思う。
(追記)
私見は,私の独自の考え方ではない。
『裸のサル』や『利己的な遺伝子』など,ベストセラーになった関連書籍が数えきれないほどいっぱいある。
それらを読み,そして動物行動学に関する専門論文などを読み漁ると,どうしても上記のような結論に達してしまうのだ。
ものごとを正確に考えたければ,「価値観」というものを一切はずして即物的に考えみるということが必須で,その上で,価値観とのギャップを考えるという順にしなければならない。それを逆にすると,死ぬまで世界を歪んだ姿でとらえ続けることになる。
(追記2)
「萌え」的な服装だけが性欲を喚起するという見解があるように見受けられるが,そもそも間違いだろう。
世界中のデザイナーが心の底から怒るのではないだろうか?
セクシーであるかどうかということと露出度とは無関係だ。だからこそ,デザイナーという職業が成立可能となる。
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