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2015年9月24日 (木曜日)

自動車のエンジン等を制御するソフトウェアに関する新たな立法を求める動き

下記の記事が出ている。

 VW: Calls to let car software be examined by experts
 BBC: 23 September, 2015
 http://www.bbc.com/news/technology-34338646

ソフトウェアそれ自体の権利は,著作権法や特許法等によって保護されている。主として当該ソフトウェアを開発した企業等がこれによって法的に保護される。

欠陥のあるソフトウェア組み込み機器類に起因する事故による損害賠償事件では,製造物責任法により立証責任の転換が認められている。これにより原告(被害者)の立証の負担が軽減されていることになるけれども,現実に何か重大な事故が起きなければ欠陥のあるソフトウェアの是正を期待することができない。

つまり,これらの法制は産業界を保護するために存在している。

しかし,世界はソフトウェアだらけであり,ソフトウェアによって制御される機器類やロボットだらけになっている。

総体として見た場合,人間の自由や権利はひどく圧迫または消滅させられているように見える。

制御用ソフトウェアの安全性に関して新たな法制を構築すると,産業界にとっては痛手になるかもしれない。しかし,ごくごく少数の金満経営者の利益のために圧倒的多数の消費者の利益が無視されてよいのだろうか?

「それでよい」,「全く問題はない」と述べる法学者等は、結構多数存在するというよりも民事系の法律家の中では多数派かもしれない。しかし,彼らは,ごくごく少数の金満家の親類縁者や「お友達」なのだろうと推定している。自己の投資利益の保護を最優先に考える者かもしれない。要するに,自分または自分の一族の独占的な経済的利益を守るために彼らは活動していると推定している。自分のことしか考えていないのだ。利己的ではあっても利他的ではないし,自己愛者ではあっても愛国者ではない。

私自身は,社会活動家でも人権活動家でも何でもないし,右翼でも左翼でもない。常にあるべき裁判官と同じ姿勢すなわち中立の立場でものごとを考えようと努力を重ねている。事実として中立であるか否かは,私のことを評価する人々の自由の領域に属するので,そうだと評価するもの,そうでないと評価するのも,どちらともいえないと評価するのも各人の完全な自由に属するし,その評価内容を公表することは,単なる誹謗中傷のような意候補行為を構成する場合を除き,各人の学術研究の自由と表現の自由に属する。

そのような前提で,可能な限り中立だと思われる立場にたって俯瞰した場合,現行の法システムは,全体として,産業育成型のシステムになっていることは否定しようがない。たぶん,否定的な見解は存在しないと思う。それでよいと考えるか,それでは足りないと考えるかの相違は存在する。

私としては,私人の単なる自由やささやかな幸福を守るための法律論がもっとたくさんあってよいと思う。

時間的・資金的な大きな制約はあるが,こういう関係のことを論説として少し書いてみることにした。

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