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2015年9月 8日 (火曜日)

司法試験

また司法試験がらみの事件が世間を騒がせている。

ずっと以前から疑問に思っていたことなのだが,出題者となる委員がどうして授業を担当することができるのだろうか?

裁判官の忌避や回避と同様,授業を一切担当できないこととするのが正しい。

試験問題を漏らす気がなくても,無意識のうちに大事なところを強調してしまうかもしれない。

それでは公平の原則に反する。

制度化することは難しいかもしれない。

しかし,授業担当を回避しない教員については,公平性や公正性というものを大事にしない者だと評することは許されるだろう。

そのような公平性や公正性は,観念ではなく,自分の実体験によって醸成されることが多い。

出身の大学院がそのような風土であれば,自然とそのような色に染まる。

『荀子』にあるとおりだ。

***

問題となり得るのは、大学教授だけではない。

弁護士も大学で講師を担当している例が多数ある。

私見としては,司法試験の出段は,全て最高裁が担当するものとし,大学に出向して授業を担当していない裁判官に司法試験の出題をさせるようにしたらよいと思う。

もしそのような制度の抜本的な変革を成功させることができたならば,大学や法科大学院における合格率なるものも極端に激変することになるだろうと考えている。

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