明治時代の廃仏毀釈は政府の命令によるものではなかった?
しばやんの日々に下記の記事がアップされていた。
白馬落倉高原の風切地蔵、若一王子神社、国宝・仁科神明宮などを訪ねて
しばやんの日々:2015年8月1日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-404.html
この記事に出てくる王子神社は,私も一度行ってみたいと思っていたところだ。その写真を見ることができて,まことにありがたい。
それはさておき,長野県における廃仏毀釈を誰が推進し誰が阻止しようとしたのかについての考察が書かれており,とても勉強になる。
個人的な「思い」のようなものから廃仏毀釈が断行されたのだとすれば,これはれっきとした文化破壊で,犯罪行為(器物損壊罪等)となる。
しかし,「勝てば官軍」なので,これまでその責任が問われたことはないし,今後もないだろうと思う。
| 固定リンク
コメント
しばやんさん
いつも勉強になる記事をありがとうございます。
現時点でも「廃仏毀釈」を明治政府が強制したとの間違った教育をしている教員があるやに耳にしておりますので,「神仏分離」と「廃仏毀釈」とは異なるものだということを早く国民に周知するような政策が望ましいですね。
当時,廃仏毀釈を強行した官吏等がその後処罰されたのかどうかについて,私も調べてみました。しかし,どうやら処罰された例はないようです。結局,多数の僧侶を強制的に還俗させて路頭に迷わせた者の勝ち,仏閣や仏具等を破壊した者の勝ち,仏寺の財産を横領して金儲けした者の勝ちということになったというのが真相だと考えました。
廃仏毀釈に名を借りた横領行為によって蓄財した者の子孫についても調べてみました。現在まで家系が続いている例があるようです。せめて,福祉施設に全財産を寄付して罪滅ぼしをするくらいのことはしてもらいたいと思うのですけれど,過去の人の罪を現存する子孫が負うべきでもないので,強制はできません。その良心に任せるだけです。
今後も勉強になる記事を期待しております。
投稿: 夏井高人 | 2015年8月 8日 (土曜日) 14時46分
いつも拙ブログを読んで頂き、紹介までしていただきありがとうございます。
この時期に明治政府が出した「神仏判然令もしくは神仏分離令」に関する太政官布告・神祇官事務局達・太政官達は、次のURLに集約されています。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/s_tatu.htm
政府は、「神仏を分離し」仏教的なものを、「取り除け」とは書いていますが、破壊せよとまでは書いておりません。しかし神祇官の権判事で、神仏分離令にも関与した樹下茂国らは、滋賀県大津市坂本の日吉山王権現の仏像仏具などを徹底的に破壊しています。この行為が神仏分離令以降の最初の廃仏毀釈で、その後彼は解職されていますが、罪に問われたようではなさそうです。
投稿: しばやん | 2015年8月 8日 (土曜日) 13時22分