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2015年7月24日 (金曜日)

墓制

この分野の専門家ではないので根本的に間違っているかもしれないが,素人的な直観としては,下記のような感じなのではないかと思う。

1:方形(方形周溝墓,方墳,前方後方墳など) 古代エジプト~漢の墓制の流れを汲むもの

2:円墳 釈迦族~鮮卑族の墓制の流れを汲むもの

3:前方後円墳 魏~晋の墓制の流れを汲むもの

4:その他の特殊形状墳 南北朝諸国の墓制の流れを汲むもの

5:大規模墳墓築造廃止以降のもの 隋~唐の墓制の流れを汲むもの

6:現在の中国人の大部分は,明確に別族だと認識可能な少数民族や現代の支配層の中でもある一定の範疇に属する人々を除き,元代以降の蒙古族や清代の満州族(蒙古族の一種)等の北方民族の遺伝子を濃厚に有する混血民俗の一種を(人口比上では)主体とするものだと推定されるが(←近年の遺伝子解析の結果によっても支持される。),元代以降の墓制は日本国の墓制に影響を与えていない。日本の精神文化に対して強い影響を与えたのは宋代までと考えて差支えない。

そこで問題となるのは,例えば,キトラ古墳(二段円墳)のような複数段の階段状のもので,円形または方形を組み合わせた墳墓だ。そのようなものは,複数の異なる流れを汲む古代氏族の婚姻等による統合の結果として発生したもの,あるいは,仏教(ヒンヅー教)のストゥーパを原型とするものではないかと想像することができる。

例えば,上円下方墳は,漢の流れを汲む古代氏族を遠祖としつつもその禅譲により支配権を得た魏晋時代の古代氏族またはその後裔であると同時に,仏舎利塔を具現化することをも意図して構築・造営されたものであることを示すものだと想像することができる。

南方系海洋民を主体とするものと推定される縄文人が大型墳墓を構築したかどうかは不明だが,おそらくそのような文化はなかったものと推定される。強いて言えば,現在では木造の建築物へと変化して神社の本殿へと変形してしまっている石造の神域(巨石を組み合わせたドルメンなど)を基本とする信仰形態,あるいは,自然石の磐座を基本とする信仰形態だった可能性がある。

すると,大国主の時代とは,周~漢の時代の植民・移民により南方系の縄文人の支配地において農耕文化を主体とするある種の文化域が構築された時代であり,天孫降臨とは,魏晋のころの新たな移住に伴う動乱と隋~唐の時代の政変等とが重ね合わされ混合されて,いずれの時代の出来事なのかよくわからないように意図的に粉飾された上で文書として記録化され,今日まで伝えられているものなのではないかと想像することもできる。

『古事記』は,律令・格式が制定された時代に,朝廷に服する諸国の支配者である神官(=当時の國の守,上,主)が国家神道の指導者として統一された説明をすることができるようにすると同時に,律令制度に基づく政治的支配の正当性根拠を示すものとして設計して書かれた教本(教科書)の一種であり,しかも,中国の諸王朝の皇帝(特に唐の皇帝)に対して読ませることをも当然の前提にして書かれたものではないかというような感じがする。

そして,「古代における日本国の独立は,遣唐使廃止の時まで待たなければならなかった」という類の史観はかなり古くから多数ある。この種の見解は,「とんでも学説」の一種として無視されることが多い。けれども,意外と真理をついているのではないかというような感じもする。

いずれにしても,文献資料による考察だけでは想像の域を出ることができず,今後の客観的・科学的で検証可能な手法による考古学上の発見の蓄積・公表を待つしかない。

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