« 金砂大田楽研究会歴史の道グループ編『常陸国歴史の道を歩こう』 | トップページ | 拳銃を装備しリモートで射撃可能な能力を有する手製のドローン(無人航空機) »

2015年7月17日 (金曜日)

通信の最適化?

下記の記事が出ている。

 ソフトバンク、「通信の最適化」は『正当業務行為』。解除不可
 engadget: 2015年7月15日
 http://japanese.engadget.com/2015/07/15/softbank/

 キャリアが実施する「通信の最適化」とは - スマホゲームがダウンロードできない?
 マイナビニュース:2015年7月6日
 http://news.mynavi.jp/articles/2015/07/06/saitekika/

私は,普通に,消費者契約法の適用の問題だと思うし,民法解釈論上では不完全履行の問題だと解する。

なぜならば,「最適化」ではなく「通信の品質の意図的な劣化」としか法的には評価できないからだ。最適化は,利用者の利便を損なわないことを必須の前提として成立する。

回線容量が物理的に圧倒的に不足しているのであれば,監督官庁による行政指導が問題になり得る。なぜならば,スマートフォンやクラウド等の利用は通信事業者が通信役務として提供すべきデータ量の爆発的な増大を招くことが予め誰にも明確に予測できるからだ(もっとも,当該通信事業者が,契約時点において,契約書中における重要事項の説明として,当該事業者の通信サービスを利用する限りスマートフォンの機能を十分に利用することができず,場合によっては全く接続できないこともあるということを明示し,そのように利用不可能な状態が発生し得ることを前提として極めて低額の利用料金を設定している場合には,利用者の自己責任の問題となる。)。

ちなみに,電気通信事業者としての通信役務の関連では総務省が所管し,利用者の通信契約との関係では消費者庁が所管し,そして,情報サービスとの関連では経済産業省が所管する。ただし,大臣が権限を行使するかどうかは全く不明。

(余談)

無線通信のリソースは有限なので,この問題が物理的に解消されることはあり得ないと考えている。更に悪化することはあっても改善の余地は全くない。

|

« 金砂大田楽研究会歴史の道グループ編『常陸国歴史の道を歩こう』 | トップページ | 拳銃を装備しリモートで射撃可能な能力を有する手製のドローン(無人航空機) »

コメント

安岡孝一さん

論文ではなく気ままなブログ記事(私的なメモの一種)なので,細かいところは全部はしょって書いてあります。

現在のインターネット上のデジタル通信では,圧縮されていると否とを問わず,全て「符号」でなければパケット通信の方式で送受信できません。逆から言えば,パケット通信で伝送可能な形式の符号でなければならないということになります。圧縮された信号も符号の一種であり,それをある方式で変形すると圧縮前の符号に戻るということになります。その変形の際の方式の相違やパラメータの設定の相違により復元率が異なるので,品質の劣化が生じます。

私が言っているのは,そういう技術的なことではありません。

私が言っているのは,契約のことです。

例えば,ISPが,「高品位な画像,音声,映像などを高速で送受信できる」と宣伝してブロードバンド通信契約の顧客を誘引したとします。ところが,その誘引内容と大幅に異なる著しく劣化した品質・速度の送受信しかできないとすれば,それは,民法上では債務不履行となり,消費者保護法上では景表法に違反する誇大広告の一種ということになります。いずれも違法行為です。

私が言っているのはそういうことです。

ですので,ISPとしては,「高品位な画像,音声,映像などを高速で送受信できる」またはこれに類する商業宣伝広告をしてはならず,事実に即して「低品位で低速の送受信しかできない」と説明するのが正しいという解になります。このように説明しているのであれば,違法の問題は生じません。

なお,電気通信事業法の定める「符号」の解釈については,圧縮していると否とを問いません。圧縮後の電磁的状態もパケット通信可能な符号でなければそもそも通信を確立することができないからです。情報法やサイバー法をやっている学者の中では異論はないと思います。どのような電磁的状態でも電気通信事業者が管理する通信設備を用いて伝送可能なものであれば全て「符号」です。

ですので,契約の解釈等の問題として考えるのが最も正しいアプローチです。

投稿: 夏井高人 | 2015年7月19日 (日曜日) 12時55分

「通信の最適化」が字面上ダメ、というのは納得できるのですが、じゃあ「通信の圧縮」とかに名前を変えれば問題ないのか、ってところに興味があります。特に、電気通信事業法第2条第1号で「符号、音響又は影像」と定義されているあたりを、どう解釈すべきなのか悩んでいて…。よければ http://srad.jp/~yasuoka/journal/594142 や http://srad.jp/~yasuoka/journal/594245 もごらん下さい。

投稿: 安岡孝一 | 2015年7月19日 (日曜日) 11時14分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 金砂大田楽研究会歴史の道グループ編『常陸国歴史の道を歩こう』 | トップページ | 拳銃を装備しリモートで射撃可能な能力を有する手製のドローン(無人航空機) »