米国:シリコンバレーのダイバーシティ問題
下記の記事が出ている。
Silicon Valley struggles to hack its diversity problem
Washington Post: July 16, 2015
http://www.washingtonpost.com/business/economy/silicon-valley-struggles-to-hack-its-diversity-problem/2015/07/16/0b0144be-2053-11e5-84d5-eb37ee8eaa61_story.html
この問題は,米国だけの問題ではない。グローバル化とは,そういうことを意味する。例えば,日本の経済産業省のサイトでは下記のように掲示されている。
ダイバーシティ推進
経済産業省:2015年6月10日更新
http://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/diversity/
しかしながら,大きな自己矛盾が存在するように思う。文化の多様性を尊重しながら,同時に均質を扱うことは難しい。「法の下における平等」は,均質に扱えないからこそ存在しているので,現実に平等な社会であれば「法の下における平等」も必要ないという道理になる。
個人は,必ず他の個人を侵害するために存在しており,協調したり自己犠牲を尽くしたりするため存在しているのではない。このことはは,生物種としてのヒトが逃れることのできない宿命のようなものだ。それゆえ,ダイバーシティが社会的に満足すべきレベルで実現することも絶対にあり得ない。ある心理的・精神的な閾値のようなものを超えた時点で,建前論としての理想論は完全に放棄されることになるだろう。
他方で,現代の米国と日本は,自由主義と自由競争を掲げている。自由競争は,必ず社会的敗者を大量に生産し,ごく少数の勝者だけが社会的に優位にたつことを法的に保障するものだ。ここにも自己矛盾がある。
結局,闘争が発生し,カオスに戻ることだろう。
「理想」というものは,歴史上常に「暴力」によって極めて容易に完全破壊され得るものだったし,これからも永久にそういうものであり続けることだろう。
カオスに戻ることを前提に近未来を予測し,そのような状況下でのサバイバルを考えなければならない。
いずれにしても,きれいごとはいったんさておき,「動物の一種である」というヒトの本質(事実)を直視し,まじめに考えてみることが必要なのではないかと思う。きれいごとだけでは何も解決できない。
[追記:2015年8月21日]
関連記事を追加する。
How do tech's biggest companies compare on diversity?
Verge: August 20, 2015
http://www.theverge.com/2015/8/20/9179853/tech-diversity-scorecard-apple-google-microsoft-facebook-intel-twitter-amazon
[追記:2015年9月5日]
関連記事を追加する。
Silicon Valley, Seeking Diversity, Focuses on Blacks
New York Times: September 3, 2015
http://www.nytimes.com/2015/09/04/technology/silicon-valley-seeking-diversity-focuses-on-blacks.html
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