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2015年7月19日 (日曜日)

トリック

もうだいぶ以前のことになるが,ある個人情報保護セミナーで講師をしたことがあり,そのプレゼンテーションの中に1枚の写真を入れておいた。

その写真は,オーストラリアに出張した際に撮影したもので,海辺のレストランの中から窓越しに海が見え,数人のレストラン客の姿が写っている。私は,海外出張の際のオフ日にはあちこち探訪して随分と写真を撮った。しかし,プライバシーの問題があるので,できるだけ人間が写りこまないようにして撮影していた。そのため,ほぼ全ての写真が無人の街のような様相を示している。このレストランの写真は例外的に人間が写っているのだが,顔がわからないようにアングルを工夫しながら撮影したものだった。

さて,その個人情報保護セミナーでは,そのレストランで撮影した写真を示しながら,受講者に対し,「この写真には幾つかの個人情報が含まれています。さて,どのような個人情報でしょうか?」と質問してみた。

様々な答えが返ってきた。しかし,私の意図した答えはない。

全部聞き終えてから,「まだあります」と説明すると,受講者は,きょとんとしてしまった。

そこで,私は,おもむろに,「この写真を撮影しているのは誰でしょうか? そう私です。 私がこのときにこの場所にいたという個人情報があります。しかし,写真それ自体からはそのような個人情報が隠されているとは誰も気づきませんね。」と説明した。

いかさまというか,ひっかけというか・・・トリックのようなものだ(笑)

しかし,ネット上のクラウドサービスで写真の記録・保存が大量にできるようになり,SNSで共有されるようになった現在,このトリッキーな個人データ問題が現実に常に顕在化しているといえる。

なぜなら,ビッグデータ環境では,写真をポストした人間をトレースまたは名寄せして特定し,画像のマッチングや画像内に記録されている位置情報から撮影場所を特定し,画像の内部に記録されているデータを解析して日時を特定することが容易になってしまっているからだ。

写真それ自体に撮影者の姿がなく,写真を表面的にみただけでは何も個人データが含まれていないように見えても,実は,集積された写真データが個人の行動を追跡するための有力な手段となってしまっているのだ。

そういうことを全く考えずに写真をポストする行為をどう考えるかは各人の自由なのだが,明確に認識した上で意図的にそうするのとそうでない場合とでは,あとになって問題が生じたときの精神的ショックに相当異なる程度の大小が生ずるのではないかと思う。

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