島原の乱の真相は・・・?
しばやんの日々に下記の記事がアップされていた。非常に興味深い。
島原の乱の最初にキリシタンは寺社を放火し僧侶を殺害した
しばやんの日々:2015年4月29日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-386.html
日本では宗教戦争が存在しなかったということになっているのだが,現に存在したということになる。
もし幕府軍が負けたとしたら,日本の文化は,その時点で全て消滅し,国家としての独立を失い,スペインとポルトガルのための奴隷を生産する地域(植民地)になり下がっていたという可能性が非常に高い。当時は,人権という考えそのものが存在しなかったし,西欧列強の目からすれば,アジア人が西欧と同等の人間だなどとは到底考えられなかったのに違いない。
無論,当時,オランダやイギリスがスペインやポルトガルと対抗関係にあったことが幸いして,日本国が辛くも独立を維持できたと考えることもできる。このことについては,しばやんの日々の過去記事の中でも詳しく論じられている。
[追記:2015年5月9日]
続編がアップされていた。勉強になる。
島原の乱の一揆勢が原城に籠城して、どこの支援を待ち続けたのか
しばやんの日々:2015年5月5日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-387.html
[追記:2015年5月14日]
続編がアップされていた。興味深く読んだ。
島原の乱の「一揆勢」は、大量の鉄砲と弾薬をどうやって調達したのか
しばやんの日々:2015年5月9日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-388.html
[追記:2015年5月22日]
続編がアップされていた。
島原の乱を江戸幕府はどうやって終息させたのか
しばやんの日地:2015年5月15日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-389.html
島原の乱平定の後も、わが国との貿易再開を諦めなかったポルトガル
しばやんの日々:2015年5月22日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-390.html
[追記:2015年5月29日]
続編がアップされていた。
島原の乱に懲りた江戸幕府はオランダに対しても強気で交渉した
しばやんの日々:2015年5月27日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-391.html
日本から締め出されたポルトガルは,その後もしばらくの間は地球規模での優勢な地位を維持していたが,1755年に発生したリスボン大地震により壊滅的な打撃を受け,その後,世界史上で光彩を放つことは二度となかった。
Wikipedia: 1755 Lisbon earthquake
http://en.wikipedia.org/wiki/1755_Lisbon_earthquake
スペインも凋落の一途をたどり,世界の一流国の座からすべり降り,それに代わって英国とオランダが派遣を争った。そして,オランダは,東アジア地域において優勢な地位を維持していた。しかし,日本人の血をひく鄭成功(日本名:田川福松)の猛攻により,1662年に台湾における支配を失った。
英国は,世界の支配者になった。そのような世界的な支配の力学を理解しなければ,大日本帝国がなぜ日英同盟を締結したのかを理解することができない。
英国の世界的地位は現在でも支配者の側にあると言える。しかし,対ナチスドイツ戦の最にチャーチルが米国に頭を下げて支援を願い出た時点で世界の実質的な支配者は米国になったと言える。そして,このような英米による世界支配をロシアがよしとしないために中国を先兵として用い,世界の秩序を混乱させ続けている間にイスラム勢力が勃興してしまったというのが現状だと思われる。
ところが,その米国内においては,英語を用いる人々が次第に減少し,いまやスペイン語を用いる人々(ヒスパニック)のほうが優勢になりつつある。
世界の変動はまだまだ続くし,世界の変動はダイレクトに日本の政治にも影響を与えることになるだろう。江戸時代のように鎖国によって対処することができない分だけ,日本国の為政者は非常に難しい課題と直面せざるを得ない。
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コメント
夏井高人様、江藤貴紀様
コメント頂き感謝です。
宗教が政治に影響を持つようになり、特に国境を越えた場合に問題が起こることが多いですね。しかし宗教は簡単に国境を越えてしまうので、それが利用されるるのでしょう。
島原の乱は書くことが無くなりましたが、それからポルトガルとの国交断絶したにもかかわらず、海外貿易高は増加していることを続けて書いています。良かったら覗いてみてください。
投稿: しばやん | 2015年6月 3日 (水曜日) 18時05分
江藤貴紀さん
「マーフィーの法則」のとおりですね。
投稿: 夏井高人 | 2015年5月31日 (日曜日) 04時58分
夏井高人様
ご返信ありがとうございます。
ヒスパニック系はまさにアメリカのアキレス腱ですね。なので、そのコミュニケーションや世論動向の調査などはお察しの取り、旧東側ラインにとっても最高にプライオリティの高い浸透対象で。
ところで、コミュニケーションというのはプリミティブなもの、食事や対面での雑談が大きいですね。
わたし自身はとても君子とは言いがたい人間ですが、それでも話を少しすれば、アイデアが他の人達に伝播して、同じ事を思ったり言ったりするよう、なってくれることもあるものです。
投稿: 江藤貴紀 | 2015年5月31日 (日曜日) 00時09分
江藤貴紀さん
世の中「きれいごと」だけで済ますことが可能であるのなら,政府も裁判所も全く必要ないのではないかと思います。
人間が多数存在するところでは必ず利害を共通にする部分社会が形成されます。その本質は欲望の共有に過ぎないのですけれど,これが社会の基本なのだと思っております。
その欲望は,どの国でも共通であることがあるので,欲望を共有できる組織は,たとえ敵対する国にあるものであっても協調関係を形成することになるでしょう。
『荀子』を読んでみると,「君子たるものは蘭の如く芳しいもので,その気高さのゆえに敵国の者でも君子に親しみ,君子のために軍事情報を提供するようになる」との趣旨のことが書いてある部分があります。そのようなくだりを丹念に読み進むと,いろんなことを理解することができると思います。
投稿: 夏井高人 | 2015年5月27日 (水曜日) 10時19分
しばやん様 夏井高人様
しばやん様のブログと、このコメント欄、たいへん興味深く拝見しました。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/051/0488/05103160488015a.html
調べてみると、裁判官らの研修に特定の宗教指導者を配置することがかつて問題になっていたりと、興味深いですね。
さて、ところで現在、仏教(のように見える)の教団であっても、実際は海外への情報提供者としてなど、かつてのキリシタン大名らのような役割りを果たしている場合があると思います。
逆に、そういった団体の情報収集能力が、圧倒的に他の政治勢力よりも抜きん出ていて世論動向をほとんど完璧に的中させるような結果が連続してでている場合、バーターとして海外のとても有力な機関から何かの情報をもらっているようなこともあってもおかしくないと思います。
ある種のサイコロのようなゲームで、ほぼ負けがないというと気は、だいたいにおいて他のプレイヤーのカードを読めている、という風に想定しないと説明が付きにくいです。
投稿: 江藤貴紀 | 2015年5月27日 (水曜日) 09時59分
しばやんさん
難しい問題ですね。
歴史学だけではなく,自然科学でも社会科学でも基本的には同じだだろうと思います。
例えば,戦後の最高裁長官の信ずる宗教を調べてみると,いろいろと面白いことがわかります。
このようになってしまった原因の一つに東西冷戦があると考えられます。東西冷戦は,通常は,自由主義(資本主義)対共産主義という構図で語られます。事実,戦後の歴史学者は,英米流であるかマルクス主義であるかのどちらかでした。現在でも歴史学者の中にはマルクス主義の信奉者が大勢います。
しかし,東西冷戦については,むしろ,キリスト教対無神論という構図で考えた方がわかりやすいだろうと考えます。ソヴィエトロシアでは徹底した宗教弾圧が断行されました。中国でも同じです。これは,キリスト教徒やユダヤ教徒にとっては生存を左右しかねない重大な脅威となります。
では,なぜ日本のマルクス主義の歴史学者はキリスト教を批判しなかったのか・・・ちょっとブログでは書きにくいのですが,考えるヒントとしては,マルクス主義の著名な歴史学者の中には,戦前,皇国史観の旗手のような役割を果たした人がいたという事実をあげることができるかもしれません。要するに,単純ではないです。ただし,屈折しているわけではないと考えています。
さて,現代では自由に歴史を語ることができるでしょうか?
まだまだ難しいように思います。
ロボットによって人類が1人残らず抹殺された後にはロボットが自由に歴史を語るのかもしれませんが,もしかすると,既にCPUの中にはキリスト教回路が仕組まれているかもしれず,そうだとすれば,人工知能ロボットはキリスト教徒になってしまいそうです。
投稿: 夏井高人 | 2015年5月 4日 (月曜日) 16時22分
いつもありがとうございます。
島原の乱の原因に関する記述は、国内に数多く残されているようですがほとんどが無視されて、西洋諸国やキリスト教の立場から書かれたものが、通説の根拠になっているように思えます。
戦後の長い間、日本史学会の重鎮たちは、つまるところ、「戦勝国にとって都合の良い歴史」を日本人に伝える宣教師のような存在に成り下がってきました。
そろそろ、こういう議論が幅広くなされても良いのではないでしょうか。
投稿: しばやん | 2015年5月 4日 (月曜日) 13時40分