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2015年5月20日 (水曜日)

個人情報保護法に基づく開示請求権の有無に関して肯定することはできないが否定することもできないとの曖昧な判示を傍論として長文で付加した珍しい判決

下記の判決が出ている。

http://cyberlaw.la.coocan.jp/Documents/150520-hitachi.pdf

傍論なので判決としての拘束力は全くないのだが,要するに,裁判長が自説を述べたかったのだろうと思う。

本来なら,法律関係の学会に入会した上で投稿論文として書くべきものではなかろうか(ただし,一般論として,論拠を明確にしながら論理を展開し,結論を旗幟鮮明にしていないものは,法学論文とは言えないので,査読の段階ではねられてしまう可能性が極めて高い。)。

ちなみに,控訴人(第1審原告)は自己情報コントロール権を根拠として開示請求権があるとの主張もしていたようだ。しかし,この主張に対する判断は全くないので,東京高裁としては,自己情報コントロール権なる法的主張(解釈論)を主張自体失当として完全に無視したということになるのだと思う。

なお,原審(東京地裁)の判決は下記のとおり。正常な判決だと思う。

http://cyberlaw.la.coocan.jp/Documents/140910-hitach.pdf

[追記:2015年5月22日]

別途,東京高裁判決のPDFを入手したので,本文のリンクを設定し直した。

[追記:2015年5月26日]

この事件の被控訴人(第1審被告)から意見書の作成依頼を受け,これに応諾して意見書を作成・提出した。意見書の著作権等の権利については私が留保している。東京高等裁判所に提出されたものは紙に印刷されたもので,デジタル化したものを公衆送信することを予定していない(依頼者である被控訴人(第1審被告)に対しては,複製権及び公衆送信可能化権を含め,再利用権を包括的に許諾した。)。なお,誤記があったので,口頭弁論期日において修正した。

意見書は,被控訴人(第1審被告)から報酬を得て作成したものでなので,意見書作成契約の本旨からして,通常は,ネット上で公表することを目的としていない。

ところが,控訴人(第1審原告)は,紙に印刷された意見書(誤記修正前の版)をPDF化した上で公衆送信し,誹謗中傷の限りを尽くしている。控訴人に対して注意するよう高等裁判所に上申したけれども,「裁判所に(控訴人から)危害が及ぶのは困る」等との理由で拒絶されたまま現在に至っている。

意見書に書かれている内容は,従来から明治大学法科大学院の「サイバー法」の講義の中で述べてきたことを中心としつつ,自説の論拠を明確にし,反対説の問題点を指摘し,従来は講義でも詳説していなかったプライバシーマーク制度(JIS Q 15001)等の関連に関する論述等を加えてとりまとめたものなので,受講した学生は私の説の骨子については既に知っている。しかし,諸般の事情を考慮し,これを文書(論説等)として公表したことがない。

以上の経緯を踏まえ,被控訴人訴訟代理人を通じて被控訴人(第1審被告)本人から了解を得た上で,誤記を修正した版の「意見書」を公開し,個人情報保護法に基づく開示請求権の問題について,更に関連各方面において,学術的・実務的な議論が尽くされることを期することにした。

意見書は,下記のところからダウンロードすることができる。

http://cyberlaw.la.coocan.jp/Documents/Discussion final 2.pdf

[追記:2015年7月6日]

この東京高裁判決は,2015年6月4日確定した(控訴人からの上告のための訴訟救助申立,上告受理申立等すべてが却下されたことによる。)。

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コメント

江藤貴紀さん

私がもし地裁の担当裁判官だったら,この地裁判決とほぼ同様の短い判決を書いただろうと思います。

また,私がもし高裁の担当裁判官だったら,「いずれも理由がない」程度の簡単な判決理由を付して控訴棄却の判決を書いただろうと思います。

最初から成立しない訴訟なので,誰がやっても同じになるでしょう。だからこそ,これだけくどくどと傍論が書いてある判決は珍しいわけです。しかも,後世に残るものではないだろうと思います。

後世に残る傍論とは,傍論であっても,正しい法理論が明確に示されているものです。この高裁判決はそうではありません。ちょっと専門的で難しいので恐縮なんですが,傍論部分の文章を論理式に置き換えて読んでみると,どこがどのようにおかしいのかを理解することができます。

では,なぜ高裁の裁判官はこのような傍論を書いたのでしょうか。いろいろと推測できますけれど,憶測の域を出ないのでやめておきます。

投稿: 夏井高人 | 2015年5月23日 (土曜日) 16時04分

夏井高人さま

その裁判例(地裁)は至極、真っ当なものに思えますね(文字通りの釈迦に説法になりますが・・・)。

なお、職業柄「こうやれば教材集に載るかな」とかの功名心で、そういう傍論を書くことがある人も、いるかもしれないという気もします。

例えばですが、原告適格についての主張立証責任について、伊方の本案での枠組みを採用した裁判例を出せば、その部分だけみると後世において「名裁判官」になって名前が残るかもしれません。

ただ、まさに、そういう方が「アメリカは本当に頼りになるという物理的証拠」を見たけれど、ほぼそれを無視していたり、ということもあるかもしれません。そう考えると後世に名前を残す人というのは、「後世に名前を残したいだけ」の人な場合もたくさんあるだろうなあと思います。

まあ、いずれにせよ確定した判決や起きた出来事については、何を言っても文字通り後の祭りなものの、世の中には珍しいものがたくさんありますね(その根っこが、実は同じところから伸びたりしていますが)。

投稿: 江藤貴紀 | 2015年5月23日 (土曜日) 12時18分

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