平気でうそをつく人たち
下記の書籍は,名著の一つと考えてよいのではないかと思う。
M.スコット ペック(森 英明訳)
平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学
草思社 (1996/12)
ISBN-13: 978-4794207418
| 固定リンク
下記の書籍は,名著の一つと考えてよいのではないかと思う。
M.スコット ペック(森 英明訳)
平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学
草思社 (1996/12)
ISBN-13: 978-4794207418
| 固定リンク
コメント
daiさん
人生の中では,とにかく素早く対処しなければならない仕事がいっぱいありますけど,それは仕事だからそうなので,それができるようになることが「社会人になる」または「職業人になる」ということなのだろうと思います。
しかし,人間は死ぬまで完成されることがないので,教養を積むための努力も死ぬまで終わることがありません。私自身は,とんでもなく無教養な人間で,自分の内面の貧しさを悔やみ,これまでの人生の中での数々の失敗を思い出しては苦味しかない唾液のようなものを舐め続け,自分の能力の低さを何度も思い知らされては絶望しそうになりながら,それでもあきらめないで生きている・・・そんな感じです。
真面目に努力を続け,ちょっとでも良い結果を出し続けていれば,誰かがそれをちゃんとみていて助けてくださることもあります。
私の場合,いろんなことがあってひどく貧乏になってしまいましたし,研究資金どころか生活費の面でも苦しみ続けておりました。けれども,神仏の御加護というべきか何というべきか,世間には援けの手を差し伸べてくださる方もあって,高価な専門書や資料等を入手するための研究費だけはどうにかこうにか確保できる状態になりました。その御恩に報いるために,更に研究を深め,せっせと論説を書き続けております。
人生には山あり谷あり・・・いろんなことがあります。
良いときでも決して奢らず,悪いときでも決して絶望することなく・・・というのが理想です。
しかし,現実には,杜子春のようなアップダウンを身をもって実体験してみないとその本当の意味がわかりません。
私の場合もそうです。実に傲慢で自尊心が強すぎ,思い出してみると自分でも吐き気をもよおすような時期もありましたし,また,自殺を考えたくなるくらい絶望的になり自暴自棄になっていた時期もあります。何も考えずに無為に過ごしていた時期もあります。
これまでの人生の中でそういうことをいろいろと経験してきた後,やはり,「自分を見失わずにコツコツと勉強を積み重ねることができるということ」それ自体のありがたみのようなものを心底から実感できるようになりました。
「静かに勉強を続け,自分が考えたことの結果を世に問うことができるということ」,それが本当に幸福なことだということをかみしめながら,更に調べ,考え,検討し,文章にまとめて公表するという毎日です。
今日もこれからちょっと調べものをしに出かけようかと思っているところでした。
人生は長いです。
焦ることなく,ちょっとずつで良いから,先人の優れた著作,とりわけ何百年も読み継がれてきた古典というものを読み続けてみてください。
今すぐにはわからないようなことでも,人生の中で艱難辛苦を味わった後にはすんなりと理解できようになることもありますので,あきらめないで何年か後に再挑戦するというような感じで古典と付き合い続ければ,いつかきっとわかるようになるだろうと思います。
より良き人生をご自身の努力の継続によって獲得することができますように。
投稿: 夏井高人 | 2015年7月 5日 (日曜日) 11時53分
夏井 先生
お忙しい中、とても丁寧で親切なお返事をいただきありがとうございます。
先生が薦めてくださった書籍は、一冊一冊、すべて拝見します。もし先生に大学の学部で出会えていたら、あるいは私の高校で講義をしてくださっていたら、私の人生はもっと違ったものになっていたと思います。出会えた高校生たち、学部生たちが羨ましいです。
事実認定力については、現在の私の大きな課題になっています。先生のご指摘で、これから実務に携わっていく上でも大きな課題であり続けることを確信しました。そして、教養についても、自分の教養のなさ、空っぽな自分が恥ずかしくなることが多々あるので、日々コツコツと努力を重ねる必要性を感じております。根本から疑い、その疑問に向き合い続けているのか、日々自分に問いかけていかなければならないと思います。
投稿: dai | 2015年7月 5日 (日曜日) 11時09分
daiさん
コメントありがとうございます。
人間として少しでも良くなろうとお考えなら,プラント以来の古典を何十年かかけてじっくりと読み重ねることをお勧めします。私は,比較的最近になってやっと『荀子』を読めるようになりました。
法学部の授業では,下記の書籍を読むように勧めています。ただ,ちゃんと読む学生がいるかどうかは知りません(笑)
Colin Wilson(関口篤訳)『世界残酷物語』(青土社,1990)
Studs Terkel(中山容訳)『仕事!』 (晶文社,1983)
Stephen Jay Gould (渡辺政隆訳) 『マラケシュの贋化石―進化論の回廊をさまよう科学者たち』(早川書房,2005)
それから,ときどき出張して高校で講義をします。数日前には浜松市立高校で講義をしてきました。高校生には,岩波文庫の翻訳で良いからモンテスキューの『法の精神』とベッカリーアの『犯罪と刑罰』を読むように勧めています。
ところで,法律家の仕事をしていると,法理論はもちろん大事なのですが,それ以上に事実認定の力が重要だということを痛感します。どんなに経験を積み勉強を重ねても事実認定力が完成されることはないので,死ぬまで努力を継続しないといけません。その努力のためには,やはり常に教養を積み続けるということを忘れてはならないと思います。
あくまでも説明のための架空の設例ですが,例えば,旧陸軍が皇国史観が正しいという証拠を捏造するために遼東半島あたりにあった石碑を平城あたりに移動させてここが古代の遺跡だということにしてしまったというような事例を考えてみると良いと思います。もしその架空の設例が事実であったとすれば,現時点での歴史学だけではなく,政治や経済を含め,ありとあらゆる分野に極めて深刻な影響を及ぼすだろうということは容易に想像できます。
では,上記の架空の設例のようなことが本当にあるのかというと,別の理由で本来の場所から移動させられたものではありますが,ハムラビ法典の石碑が最も良い例だと思います。本来あった場所から戦利品として戦勝者の国に移動させられたために現代まで残ったものです。そして,その碑文によって,現代まで続く法規範の基本的部分がシュメール時代以前まで遡り得ることを認識することができるのです。
更に,現代の法制は,常識や確定された理論・知識が不変のものだということを前提に構築されています。そうせざるを得ないからです。しかし,大前提となっている常識や理論・知識が実は誤りであったという場合には,当然のことながら,根本的な部分で法改正をしなければ正義に反する結果を招くことになります。国家が嘘を強要することになるからです。
そのような例は実は極めてたくさんあります。
ですので,常に「本当か?」と疑問をもち,コツコツと勉強を重ねることをお勧めします。
私は,18歳のころに疑問に思ったことを暇をみて研究し続け,40年以上をかけてやっとどうにか解決方法のようなものを見出すことができました。目下,それが健全な解決方法であるのかどうか検証中といったところです。
投稿: 夏井高人 | 2015年7月 5日 (日曜日) 07時35分
突然のコメント失礼します。
法科大学院で先生の授業を受講させていいただいて以来、先生のファンになり、修了後もブログを楽しみに拝見しております。
先生がブログで薦めて下さった「平気でうそをつく人たち」を拝見しました。すばらしい作品だと思います。特に、集団の悪についての記述には考えさせられるところがありました。
この集団の悪の問題について、軍ではなく法曹界に置き換えながら考えてみると、私の中で今までになかった問題意識が生まれました。このような作品を薦めていただいて、本当にありがとうございます。非常に勉強になりました。
最近、ブログの過去の記事をたどりながら、先生が薦めてくださっている書籍を拝見するのが休日の楽しみになっています。これまで記事にしていただいたものの他に、先生が名著と思われる作品がございましたら、また記事にしていただければ幸いです。休日の楽しみが増えて非常に嬉しいです(笑)。
長文失礼しました。
投稿: dai | 2015年7月 5日 (日曜日) 00時05分