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2015年4月 8日 (水曜日)

David Lewis Schaefer, Justice or Tyranny? - A Critique of John Rawls's a Theory of Justice

Amazon経由で米国の古書店から下記の書籍を購入し,読んでみた。

 David Lewis Schaefer
 Justice or Tyranny? - A Critique of John Rawls's a Theory of Justice
 National university publications, Kennikat Press 1979
 ISBN-10: 0804692211

Rawlsの正義論に対する批判を展開するもので,的確な批判が多いと思う。ただし,「では,どう考えたら良いのか?」に関しては希薄なので,乗り越えているようには思われない。

批判の部分はさておき,傍論的に,「学者(専門家)の正義感」のようなことについて随所に触れられている。昨今のデータ捏造事件や論文捏造事件などを見ていると,社会における病根は非常に深いものだということを痛感する。

まともに調べ,考え,自分の考えを形成し,それを文章にまとめる能力が乏しいのであれば,「学者をやめればよいのに」と思うのだが,そういうわけにはいかないところが社会というものの難しさだ。それぞれの社会生活があり,収入を確保するためには,どんな手を使ってでも現在のポストにしがみつづけるのだろう。まして,政治的野心や経済的欲望の強い者ではその悪が増幅されることになる。それはそれで人間の本性の一部のようなものだと思う。人間は,欲深い動物だ。

しかし,だからといってデータや論文を捏造して良いということにはならない。

裁判所(裁判官)は,著名な学者の書いた論文には一応目を通した上で自分の判断を形成する。それ以前に,司法試験受験生の時代には通説を徹底的に勉強し,理解し,覚え,道具として使いこなせるように訓練する。そのような訓練が十分にできていなければ司法試験に合格することはないし,まして,最上位の成績で合格して裁判官に任官することなど絶対にできない。それゆえ,もしその「通説」なるものを形成している基本的な論文が捏造論文だった場合に発生する社会的害悪には計り知れないものがある。まさに正義に反する状態を現出させてしまうことになるのだ。

そういうわけで,理論的にも実務的にも,私は,捏造論文というものに対して嫌悪感をもち続けてきた。

この嫌悪感なるものは,単なる生理現象の一部かもしれない。しかし,それを哲学的に説明しようとすれば,やはり「正義論」の一部となるのではなかろうか。

こういうことなどを考えながらこの書籍を読みとおした。薄い本なので,比較的短時間で読了してしまった。

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