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2015年3月11日 (水曜日)

今岡直子・「忘れられる権利」をめぐる動向

国会図書館のサイトで下記の論説が公開されている。

 国立国会図書館
 「忘れられる権利」をめぐる動向
 国立国会図書館調査及び立法考査局行政法務課・今岡直子
 調査と情報854号(2015. 3.10.)
 http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9055526_po_0854.pdf?contentNo=1

詳細に検討されており,特に消去権に関する部分は参考になる。

ただし,その法的根拠については,加盟各国で区々になっており,必ずしも一定しているとは言えない。ドイツの法制が最も明確なものであり(情報に関する自己決定権について,条文上の根拠が確立されている。日本国法にはない。),法解釈論も豊富なので参照されることが多い。しかし,ドイツはEUの中でもとびぬけて先進地だということを忘れてはならないし,米国の主流的な考え方とは異なるという点にも十分に留意しなければならない。

世界は一つではないのだ。

なお,日本国においては,現行の個人情報保護法の見直しの関連で様々な議論がなされているのだが,まだ明確な方針が固まったと言える状態にはないと判断している。ドラスティックな改正を行った場合の産業界の混乱が大きすぎるからだ。

他方で,現行の民法の不法行為の関連条項(723条)の解釈論についても更に十分な検討が必要だと考えている。当事者双方の利害を合理的に総合判断した上で,必要十分かつ相当な処分をすることができるという意味で,723条の解釈論の展開こそが日本国の法学者のやるべきことだと思っている。

現行の個人情報保護法が自己情報コントロール権を認めたものだとの誤った説があるけれども,このような説は,むしろ民法723条の活用を阻害するために意図的に流布されているのではないかと邪推したくなることがあるくらいだ。ただ,憲法学上のドグマしか知らず民法の要件事実を全く理解できない者にはそもそも無理なことかもしれない。

ともあれ,私も更に勉強を重ねようと思う。

(追記)

私は,明治大学の法科大学院では,自己情報コントロール権説がいかにダメな学説であるかについて説明した上で,被害者の救済のための法理としては人格権に基づく救済のほうが妥当だとの見解を提示している。無論,日本の裁判所において人格権の主張が認められることは滅多にない。これは,事案が事案だ・・・という事例が少なくなく,つまり,利益考量の結果として人格権に基づく救済を認める必要性があるとまでは言えないと判断すべき事例が多いからだろうと考えている。人格権について,法律上の根拠が存在しないこともまた裁判官を躊躇させる大きな心理的要因の一つとなっていることは疑いない。

立法論としては,民法723条による処分を名誉棄損の場合よりも広く拡張できるようにすべきだろうと考えており,また,名誉棄損という条文のままであっても,より広く人格権に対する重大な侵害があり何らかの行為請求を容認すべき必要性が高い場合には名誉棄損に準じて民法723条を適用または類推適用すべき場合があるのではないかと考えている。

個人情報の開示や停止の請求の場合,個人情報の本人であれば一律に常に何でも請求できるという法制は逆に救済の道を狭めることになる。裁判所が,当事者双方の利害を十分に利益考量した上で,深刻な被害の発生・継続を阻止するために必要な合理的な範囲内での請求権を検討できるような柔軟な裁判規範のほうが妥当だと考える。

現行の個人情報保護法は,無論,そのような柔軟な構造をもっていないし,また,本人の自己情報コントロール権を認めた裁判規範でもない。

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