ときどき読みにいく「しばやんの日々」に興味深い記事がアップされていた。
宣教師やキリシタン大名にとっての関ヶ原の戦い
しばやんの日々:2015年3月9日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-377.html
様々な論者の中には,世界の流れの中での日本という存在を考慮せず,純粋培養的な歴史観をぶち続けている者もあるが,世の中,そんなに単純ではない。
戦国時代には西欧列強が地球規模での移動手段を既に確立していたので,西欧との関連を全く無視して歴史を語ることなどできない。そして,当時のキリスト教は,欧州以外を全て植民地として奴隷化するための手段として存在しており,日本国のようなごく例外的な存在を除いてはほぼ実現間近な状態にあった。もし日本国の軍事力が弱かったら,欧州人だけが人間で,それ以外は全て奴隷(=人間ではない)という世界になっていただろう。人間ではない存在は,国というものを形成することができない。国は,人間の集合体なので,奴隷が何億人集合しても国にはならない。当時の通念はそうだったのだ。
私は,目下,徳川吉宗に着目している。鎖国の時代にあって,吉宗は,非常によく世界の情勢を調べ,認識していた。その結果,鎖国を強化することが得策だと判断し,幕末までいってしまったとされているのだが,本当にそうだったのかどうか・・・
吉宗は,日本国における本草学勃興の原動力ともいうべき命令も出し,巨額の資金を投じて本草(薬草)の中国からの導入と栽培・改良・育成に尽力したとされる。これは事実だと思う。問題は,その際の媒介を行ったのが広東商人や南京商人だけなのかということだ。
私の推定では,これらの商人とつるんだオランダ商人やイギリス商人なども暗躍していたのではないかと考えている。
スペインとポルトガルの時代は意外とあっけなく終わってしまった。ポルトガルの場合には極めて悲惨で,リスボン大地震による壊滅的な打撃から立ち直ることができなかった。富の多くがリスボンに集中してしまっていたことも被害の拡大に寄与したというのが私見なのだが,当時のリスボンと同様,世界各国では首都だけに富が集中し過ぎているのが現状だ。その首都が大規模自然災害で壊滅的打撃を受けると,国土内における面積としてはそんなに大きな地域でなくても国家全体の富が消滅するという結果を招いてしまうことになる。更に,現代では,富とされている有価物の大半が電子化され観念化されてどこかの国にあるどこかのサーバ内に電子データとして抽象的に存在しているだけになってしまっているので,そのサーバが大規模自然災害やサイバー攻撃等によって壊滅してしまうと,世界の富の大半が一瞬にして消滅してしまうという事態が発生し得る。現在の世界は,ピケティが考えているよりもはるかに脆弱なものなのだ。
そうした事柄の因果律を結び付けて考えるのが学問というものの重要な部分であることは否定できない。ただ,現在では安直に結果を得るという目的のためだけに奔走している馬鹿者が多すぎるので,実際には真の学問にとって悲惨な時代であるのかもしれない。
[追記:2015年3月16日]
しばやんの日々に続編がアップされていた。これまた興味深い。
徳川家康が、急にキリスト教を警戒し出した経緯
しばやんの日々:2015年3月15日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-378.html
[追記:2015年3月27日]
しばやんの日々に続編がアップされていた。こういう見方もあると知り,勉強になった。
家康のキリシタン弾圧と、キリシタン武将・宣教師らにとっての大阪の陣
しばやんの日々:2015年3月22日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-379.html
[追記:2015年4月4日]
しばやんの日々に続編がアップされていた。
江戸幕府の対外政策とキリスト教対策が、急に厳しくなった背景を考える
しばやんの日々:2015年3月27日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-380.html
徳川家光がフィリピンのマニラの征伐を検討した背景を考える
しばやんの日々:2015年4月2日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-381.html
徳川軍が出兵して当時のフィリピンからスペイン人を完全に追い出すことができたかどうかと問われれば,二国間の軍事力の比較だけで考えるとすれば,たぶんできただろうと思う。フィリピンは,スペイン本国から遠すぎて,補給(兵站)において明らかに不利だと言える。
しかし,もしそのような事態が発生すれば,徳川幕府と清との間に極めて厳しい対立が生じ,かなり難しい国際情勢が発生したことは疑いがない。当時の将軍がそのようなことを考えなかったはずがないので,結局,出兵しなかったのは妥当な結論だったと言えるだろう。その代わり,西欧列強が植民地化をどんどん進め,世界の大半が奴隷国となってしまった。
中国という国は,歴史的に,西洋人(ロシアを含む。)と戦争をしようとしたことがなく,戦争をして勝ったことも一度もない。軍事的にみて圧倒的に弱い朝鮮,ベトナム等への侵攻・侵略は何度もある。
第二次世界大戦後に毛沢東がチベットや西域方面へ侵攻することができたのは,対国民党戦の関係でスターリンから与えられた大量の兵器・弾薬があったからで,もしそれがなければ侵攻できたはずがない。また,侵攻をしなければ,国内にいる武装した大量の軍人が鬱積を膨らませ,毛沢東の政府を倒すべく第二次内戦になった可能性が高く,そのような軍人の鬱積を外部にそらすためにも対外侵略が必至だったのだろうと思う。
運命というか何というべきか,周辺諸地域の人々はひどい時期に遭遇してしまったとしか言いようがない。
結局,ものごとの本質は,経済問題にある。それをうまく解決する方法などどこにもないのにあるようにみせかけて政権をとるものだから,うそをうそだと言われないようにするため,戦争が必要となるのだ。攻撃を受ける国々は迷惑というかとんでもない災害のようなものなのだが,人類の脳は,所詮その程度の低いレベルのものでしかないので,運命だと思ってあきらめるしかない。
そういうわけで,私は,観念論過ぎる「平和主義」には一切与しない。蟲のレベルで徹底して即物的に考えるべきだと思っている。
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