『孔子家語』「六本」の一節
『孔子家語』の「六本」の中には次のような一節がある。
孔子曰 吾死之後 則商也日益 賜也日損
曾子曰 何謂也
子曰 商也好與賢己者處 賜也好與不若己者處 不知其子視其父
不知其人視其友 不知其君視其所使 不知其地視其草木
故曰 與善人居 如入芝蘭之室 久而不聞其香 即與之化矣 與
不善人居 如入鮑魚之肆 久而不聞其臭 亦與之化矣 丹之所藏
者赤 漆之所藏者黑 是以君子必愼其所與處者焉
なるほど・・・と思う。
さて,私自身はどうかと言えば,「鮑魚之肆」のようなものか(笑)。
(追記)
仕事部屋にフジバカマの鉢とシロウマアサツキの鉢を置き,実験している。
どちらも芽が出てどんどん伸びている。
シロウマアサツキの香りは強く,部屋中が葱臭くなってしまいそうだ。
フジバカマの昨年の枯枝には枯葉がいっぱいついていて,よく嗅ぐと甘味のある芳香がするのだが,シロウマアサツキと比較すると全く勝負にならないほど弱い。
君子の部屋にある芝蘭とは,藤袴の類では絶対にあり得ず.おそらく葱の類のことだろうという仮説をたて,様々な実証実験を続行中。
(追記)
「芝(茝)」と「蘭」とをわけて考える見解がある。通説かもしれない。そして,「芝」をキノコの一種である「霊芝」と解する見解もある。
しかし,「殿前生桂樹」という古詩には「蘭茝出荒野」とある。
霊芝が荒野に生えることはない。
よって,「芝(茝)」は霊芝(キノコ)ではない。
符号のみを頼りとするようなタイプの訓詁学は廃止すべきだと思う。
あくまでも実証主義を基本として解釈を進めるべきだ。
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