鄭玄等注『十三經古注』(全11冊)
下記の書籍を入手し,読み始めた。
[漢]鄭玄等注
十三經古注
中華書局
2014年 5月
ISBN: 9787101101027
古い文献の校注は,時代を下るに従ってわけのわからないものとなってしまっているものがあり,この際,素朴なものを読んでみようと思ったからだ。
もちろん,後世の偽書のようなものも混じっていると思う。
しかし,それよりも古いものがないので仕方ない。
ときどき発見される木簡や竹簡等に記載された断片等と見比べながら,少しずつ勉強を重ねている。
10年くらい我慢して勉強を続ければ,どうにかこうにか自分なりの解釈をまとめることができるのではないかと期待している。きっと,その間に,新しい考古学上の発見もあることだろう。
こういうものを勉強していると,若い頃のことを思い出す。
司法試験の勉強をはじめたころには,誰も合格するとは思わず,露骨に軽蔑されることはなかったけれども「少し頭がおかしくなったのではないかと」思っているような視線を受け続けた。慣れてしまった。
裁判官になってから情報処理やプログラミングの勉強を独学で始めた。やはり,「何を無駄なことをやっているんだ」というような視線を常に受けたし,露骨に批判されたこともある。しかし,10年ほど我慢して勉強を重ねた結果,その成果が認められて,結果的に,学者に転向することとなった。
学者になってから,草と付き合うようになった。「遂に限界がきて趣味の世界に逃避か」と思った人が多かったようだ。確かに,蘭は好きで育てている。しかし,実は大事な研究を重ねていた。その成果を出せる段階まできている。植物は生き物なので,好きでなければとても継続して育てられるものではない。好きな植物と出逢えたことは,生きた素材と常に一緒にいられるという研究環境を実現するために非常に重要なことだったと思う。天の助けはあると信ずる。
最近,古い漢文を読むようになった。「老後の準備か」等々と思う人が多いようだ。
しかし,古い漢文を読むことは,現在の世界が直面している重要な課題を解決するためには必須のプロセスなのだ。
誰もそう信じないだろうけれども,それでよい。
私の人生は,「わからない人には死ぬまで絶対にわからない」という当たり前のことを実感し続けるためにあるような感じもするけれども,それだけに,他人からの評価等は無視してマイペースで研究を重ねるという私の研究スタイルを習得できたのではないかとも思う。
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